メールが普及しても、年賀状はアナログの「葉書」に限る! グリーティングカード系の年賀状を使う人もいるけど、貰う方としてはいちいち表示するのが面倒くさい! それに、ただで送れるグリーティングカードは、なんだか手抜きをされているようで、気分がよくない! やはり貰うのならば手間暇金がかかって、形に残る方が気分が良い! オイラは決してアナログ人間というわけではない。メールの書き方の本も出しているし、メール関連の連載を、ソフトの操作法からネットナンパ、携帯メールまでと、パソコン誌、女性誌、携帯誌とやってきた。この辺を勘違いしていただくと困るのだが、懐古趣味のデジタルデバイドではない。年明け早々には、ネット関連のメルマガで「グリーティングカードの利用者が○○名」などと記事になったりするのだろうが、そんなのはネット関連のメルマガだけの話題であり、新聞や一般誌で取り上げられることはまずない。所詮はその程度のものでしかないとオイラは認識している。利用者が○○万人と言ったところで、商用サイトが懸賞を餌に集めたメールアドレスに、ダイレクトメール的に送るものがかなりだろうから、受け取った方がどのくらいの割合で開くか考えてみればわかるだろう。 ものにはTPOがあるように、メールにはメールの守備範囲があり、手紙には手紙のフィールドがある。と、いうことで、このホームページを通じて、年賀状についていろいろと考えていきたいと思うのである。
せっかく送るのだから貰ってうれしい年賀状を送りたいと常々考えているし、実行しているつもりではいる。オイラは字が下手なので、年賀状はパソコン任せである。元々字が下手なのに、パソコンを使って15年。文字入力のほとんどがパソコンだからますます字は下手になっていく。下手だけならばまだしも、子どもみたいな字しか書けない。せっかく年賀状を送るのだから手書きとは思うが、「コイツはバカだ!」と思われたくないので、パソコンに頼っている。年賀状の作成はパソコン任せだが、送る相手によって文面を変えている。大学の先生に送るのならば、「今どんな雑誌に書いている」とか近況報告を入れたりする。編集さんに送るにも、連載中の雑誌の編集さんと、今は一緒に仕事をしていない編集さんたちでは文面を変える。編集長と担当の編集さんの文面も変える。取材先でお世話になった人にも、媒体別に「○○誌の取材ではお世話になりました」と、雑誌名を入れる。各人それぞれの文面にはならないが、グループ分けで対処している。全部同じ文面で送るのと違い、手間はかかるが、その分枚数の方で調整している。しかし、調整しているつもりでも、枚数はそれなりに行ってしまう。オイラ的にはこんな感じで、少しでも相手との接点を見つけて、それを書くことによって少しで良いからよろこんで貰おうと思っているが、うれしいとかうれしくないとかは個人的な嗜好の部分が大きい。そこで皆さんから貰ってうれしい年賀状、貰ってもうれしくない年賀状についていろいろとご意見を賜りたい。
オイラは毎年、年賀状を余分に買っている(つもりだ)。プリンターで印刷するのだから、もちろんインクジェットタイプだ。しかし、毎年、必ず足りなくなる。見積もりよりも実際は人数が多かったこともあるし、プリントミスが原因で足らなくなることもある。そのときにはすでにコンビニではインクジェット用年賀状は置いてない。郵便局にまで買いに出かけると、こちらも売り切れで、残っているのは55円の絵入りのだったりする。5円は寄付かなんかなんだろうが、オイラ的にはこの55円の年賀状にはどうも抵抗がある。貰った方に「コイツはぎりぎりまで年賀状を書かなかったのか?」と思われているような気がしてならないからだ。実際ぎりぎりになってしまうから仕方がないのだが、オイラは自宅宛の年賀状は元旦に届くように優先的に書く。仕事関係は、5日とか7日スタートなのだから、別に元旦に届かなくてのノープロブレムってこともある。必然的に、会社宛のものが55円の年賀状になる確率が高くなる。しかし、55円の年賀状を出して「コイツはぎりぎりまで仕事をしないタイプだ」って思われてしまうってはマイナスだ。それと、どういうわけか、年賀状を印刷しているときに限ってインクが切れてしまう。オイラのプリンターは両面印刷できると言うだけの理由でHPのプリンターだ。やっかいなことに、自転車で行ける範囲の電気屋さんに置いてないことがある。こんなときは、キヤノンやエプソンにしておけば良かったと思うし、今年はエプソンのに買い換えようかなぁなどと思っていたりもするが、こんなときには、買い置きのインクが残っていたりするから困ったものである。皆さんは年賀状を書く上でどんなことに気をつけているのか、また、どんな工夫をしているのかお考えを賜りたい。
オイラの字は小学生並みだし、絵はというと輪をかけて下手で幼稚園生並みである。ニャロメは描けるがドラえもんさえ描けない。しかし、世の中にはきれいな字をすらすらとすごいスピードで書く人もいるし、上手な絵をさらさらと描く人もいる。こんな部類の人は、パソコンで年賀状を作ったり、印刷屋さんに頼んだありきたりの年賀状を送るのは大変もったいない。手間暇は恐ろしくかかるが、ぜひとも年賀状でその特技で自己アピールをしてほしいものだ。また、最近はプリンターに押されてしまったが、版画の年賀状も良い味を出す。印刷の発達していなかった頃は瓦版などに、簡易印刷的に用いられていた版画だが、今では簡易印刷の意味合いは薄れ、個性を表現できるものになった。版画ほど大げさではないが、芋版だってほのぼの感たっぷりだ。芋の形状から、大きな版画には適さないが、ワンポイント的に使うのならば十分に威力を発揮する。
プリントゴッコも健在だ。一時は年賀状作成の定番ツールとして、一世を風靡した懐かしい印刷機だ。最新のプリントゴッコは「葉書」特化の複合機って感じだが、、昔ながらのプリントゴッコも販売されている。PG-5なんてデビュー当時のまんまのものもあるし、重ね刷りに便利なPG-11なんてのもある。昔は今のプリンター感覚で使われていたが、昭和の懐かしさたっぷりだ。アナログ的な感じがナイスである。パソコンとプリンターの発達で、ちょっとセンスがあれば、印刷屋さん並みのクオリティの年賀状が簡単にできる時代だからこそ、アナログ的な年賀状が心に残るものになる。デジタルがあふれる今の世の中、ちょっとアナログの暖かさを振り返っても良いのではないだろうか? ここで、皆さんが作っているアナログ的な年賀状、貰ってうれしいアナログ年賀状についてご意見をちょうだいしたい。
「人脈」ってゆ〜と、新しい人との出会いを期待してしまうものだが、新しい人間関係を構築するよりも、昔の人間関係を復活させる方がスムーズに行く(ケースが多い)。たとえば、大学時代のゼミの先生とか、考えてみると強力なコネクションだ。オイラの出身大学は、こぢんまりとしていたので、学生との距離が近かった。当時お世話になった先生方も、めでたくご出世されて、助教授から教授へとなられた。実際に、こんな人たちと新たに知り合おうと思ったら大変なことであるが、師弟関係の構築された間柄である。ご無沙汰していたとはいえ、教え子から届く年賀状は、何ら問題があるわけではない。これと同じように、大学時代の友人も大事なコネクションだ。それ相応の大学を出ていれば、友達も相応の企業で相応のポジションにいるだろう。「その大学ってどこにあるの?」なんて訊かれるような大学はともかく、大学時代の友人は大切にしたいものだ。大学で勉強どうのこうのおっしゃる方々もいらっしゃるが、大学の勉強を引きずるのは、理科系とかガッコのセンセイくらいなものであって、大方は直結することはない。そんなことよりも、人間関係を構築することが大切だったかってことだ。教室と職員室で完結する世界で生きていらっしゃる方はこのことがおわかりでないようだが。
人脈の掘り起こしは何も大学時代の先生や友人たちのみではない。転職した同僚や上司部下に先輩後輩、これだって立派な社外人脈となる。取引先の担当さんが転職をしたらこれまたラッキーである。コネクションが一社増えると考えれば、これまたおいしい。年賀状を毎年出して人間関係を浅くでもキープしておけば、何かの折には電話一本でアポが取れる。アポを取る大変さを身にしみている職種ならば、これがいかにおいしいことかご理解いただけるだろう。オイラの場合で言うと、相性の良い編集さんがほかの出版社に移ると、新しい出版社とのコネクションが一つ増えることになる。今やっている仕事は別の編集さんが引き継ぐし、ここでも新しい出会いがある。どんどん転職してくださいなって感じだ。どうも日本人は転職と言うと後ろめたい気持ちになったり、担当が変わることを好まなかったりする傾向があるが、考えようによっては、自ら行動を起こすこともなく、棚ぼたで新しい人脈を作れる非常にありがたい機会なのである。このことを理解していないから、異業種交流会で集めた顔と名前の一致しない名刺をありがたがったりしてしまうのだ。顔と名前の一致しない100枚の名刺よりも、知り合いに出す1枚の年賀状なのだ。
オイラのようにフリーで仕事をしていると上司はいない。しかし、サラリーマンの世界に住むあなた、1枚50円程度の年賀状。上司には忘れずに年賀状を出すようにしたい。小心者の上司に限って、チェックが厳しいものだ。こういう小心者は煽てておくに限る。印刷の年賀状でも、一言くらいはコメントを入れる。手間はかかるが、このての輩はこういう細かいことには非常にうるさい。そして、片道切符で飛ばされたなら速攻で縁を切る。それだけの話だ。上司に出すからと言って、何も特別な書き方などないのだが、敬称は「殿」ではなく「様」にする。それと、子どもではないのだから「さま」とひらがなで書かないようにする。また、いかに仕事が忙しくとも、元旦着は必須。こんなところで仕事が遅いとの印象を持たれてしまっては損だ。こんなところに注意をして、いやな上司でも年賀状を出すようにしよう。
仕事関係の年賀状というと会社支給のものを使うことになると思うが、この会社支給の年賀状って、本当にやる気があるのかどうかってのがけっこうある。何とも言えず、お粗末なのだ。「出入りの業者に金を払って」って言うような職種ならば、会社支給のセンスのない年賀状でも良いが、相手から金を貰う職種でこんな年賀状を使うのはど〜かって気がする。年賀状を準備するのは、総務関連の仕事だろうが、こんな年賀状を総会屋さんにも送っているのだろうか? こんな年賀状を準備する総務に対して、役員さんたちは株主総会が心配にならないのだろうかとついついお節介なことを思ってしまったりする。オイラのような職業は、仕事をどこに流すこともできず、自分でやらなければならないわけで、末端の末端。一人親方の土建業みたいなものだから、編集さんから貰えるだけありがたいのだが、自分が頭を下げなければならない相手に会社支給の年賀状をまんま送るのってどうよと思ってしまったりする。会社の力関係や、相手との力関係を考えて、自分の立場が弱いのならば、会社支給の年賀状ですますなんてことをしないで、自腹を切ってもそれなりの年賀状を送るのが筋って思うが、皆さんのご意見を賜りたく思う次第である。
写真画質プリンターの性能をフルに発揮しようと思ったら、専用のフォト用紙ってことになる。ところが、インクジェット用の年賀状は販売されているが、フォト用紙の年賀状は発売されていない。写真を印刷した年賀状を送ろうと思うと、必然的にクジ無しの年賀状となる。オイラ個人的な思いなのかもしれないが、年賀状のクジの当選を調べるのはけっこうな楽しみである。あたっても、切手シートくらいなものなのだが、ちょっとしたわくわく感が楽しい。だから、オイラはクジ付きの年賀状が大好きだ。ところが、フォト専用光沢紙で送られてくる年賀状にはクジはない。一流の写真家が年賀状のために撮った写真を追うりんとするのならばそれは大変うれしいことだが、そのようなことはない。せいぜい子どもの写真がプリントされているくらいなものである。こんな子どもの写真を見るくらいならば、クジの方が256倍楽しいし、うれしいし、幸せだし、gladである。オイラ的には、絶対クジ付きの「葉書」を貰いたいって気持ちが強いが、皆さんはどう考えているのだろうか? ご意見を賜りたい。
子どもの写真入り年賀状も廃れそうで廃れないでがんばっている。けなげと言うかしぶといというか、その生命力には感心させられたりもする。田舎に住んでいるジジババ宛に送る年賀状ならばともかく、仕事関係の相手に送るのはどうかってオイラ的には思ってしまう。「○○家」のホームページ的な感覚で、小市民的に感じてしまう。また、干支に何の関係もないペット写真(しかも「ピンぼけ」+「手ぶれのおまけ付き)の年賀状も、「ど〜よ」って感じてしまう。ペットは動くし、顔が前後に長いので、ピントを合わせるのが難しい。反応の鈍いコンパクトデジカメなんかでは、よほど幸運にでも恵まれないと、人様にお見せするようなペット写真なんて撮れるわけはない。まぁ、このことに関しては、個人差があることで、オイラ一人でどうこう言っても始まらないと思うので、皆さんから「こんな年賀状は貰ってど〜よ」的なものについてご意見をちょうだいしたい。
喪中の範囲というと年末の話題になるテーマだ。一応基本的なラインは以下の表に示しておく。地域的な相違やつきあいの深さにもよるので、あくまで参考程度にしてほしい。ただし、口うるさい親戚がいる場合、彼らがどういう態度に出るかを見極めた方が無難である。口うるさい親戚ほどやっかいなものはないからだ。