夏の年賀状「暑中見舞い」。みんなが出さないから、出すと目立つ暑中見舞い。年末ほど忙しくないから、時間に余裕を持てる暑中見舞い。暑中見舞いを出してみよう!
日本には季節に挨拶として夏には暑中見舞い(残暑見舞い)、冬には年賀状(寒中見舞い)があります。季節の挨拶状の王様は年賀状で、だれもが出します。しかし、暑中見舞いも夏の風情、趣の深さがあります。また、あまり出されることのない挨拶状なので、もらうとインパクトがあります。メールを使うようになり、はがきを書く機会はめっきり減りましたが、はがきにははがきの良さがあり、人と人を結びつけるツールとしては健在です。今年の夏は音信不通になっている人に暑中見舞いを出してみましょう。昔の関係がよみがえるかもしれません。
古い通信手段を人はありがたがります。たとえば、弔電。これは電報と相場が決まっています。メールで「お悔やみ申し上げます」なんて送ったら、人間性そのものを疑われます。披露宴で司会が読む祝電も、こちらも名前の通り電報です。電報は完全なオールドメディアで、普段使う人はいません。しかし、それ相応の礼儀を必要とする場面では不動の地位を占めています。手紙やはがきもメールに押されて(と言うか、電話が普及した時点で一世代前のメディアになっていますが)、書く機会ももらう機会も少なくなりました。とは言っても、ある程度フォーマルな場面では手紙やはがきとなります。メールが普及しても、旧来の通信手段はまだまだ健在であり、むしろ、人は古いメディアの手紙、はがき、そして電報にありがたさを感じます。新しい通信手段が誕生すると、旧世代に追いやられたメディアの格が上がります。お手軽なメールやグリーティングカードではなく、紙の暑中見舞いが人の心に響きます。
メールは文面を打ち込んでクリック一つで送信できます。一方、暑中見舞いは、はがきを買ってきて、住所と宛名を、そして文面を書いてポストに投函します。メールに慣れてしまうと面倒です。一通送るのに50円かかります。しかし、手間があるからこそ、もらった人はうれしく感じます。お中元お歳暮の季節になると、デパートのギフトコーナーは賑わいます。デパートでお中元お歳暮を贈る人の意識は、この品物を送りたいからこのデパートではなく、「この包装紙で送りたい」からわざわざ日本橋や銀座へと足を運びます。包装紙のために、デパートまで出向いて、割高な商品を人に送ります。この手間と暇と金がもらう人を満足させます。だから売り上げが落ち込んでいてもデパートは意義があるのです。日本橋のデパートの客は年寄りばかりです。天井も並のスーパーよりも低いです。蛍光灯はむき出しです。しかし、日本橋のデパートには歴史があり、低い天井も遅いエレベーターも風格になります。暑中見舞いも手間と暇と一通50円のお金をかけて、わざわざポストに投函するから人はもらってうれしいのです。これはクリック一つで送信できるメールや、簡単送信のグリーティングカードにはできないワザです。
年賀状は数十通、数百通単位でもらいます。ところが暑中見舞いは届いても数通という人がほとんどではないでしょうか? 届く枚数が少ないからこそ、もらったときの印象は強くなります。暑中見舞いは広告ではないのですから、印象がどうのこうのを言うのは意味合いが違いますが、せっかく手間暇かけて送るのです。相手に与える印象は大切に考えたいものです。
暑中見舞いは年賀状に比べると、書く枚数が少なくて済みます。年賀状ならば、自社関係の人にも送らなければなりませんが、暑中見舞いは基本的には送る必要はありません。毎日顔を合わせている人にはがきを送るのも変な感じがします。年賀状は版画や芋版、プリントゴッコと手間をかける気になればいくらでも手間をかけられますが、暑中見舞いはそのような手間をかける必要はありません。年賀状のように元旦必着のノルマもなく、梅雨が明けてから立秋までと2〜3週間程度の余裕があります。
「年賀状は元旦に届くように出す」はだれもが知っている常識ですが、暑中見舞いはいつからいつまでと訊かれて即答できる人は案外少ないものです。大まかな目安として、梅雨明けから立秋の前まで、夏休みが始まってからから甲子園大会が始まるまでの間と覚えておけばいいでしょう。小暑(七夕の時期)からとも言われていたりもしますが、この時期は梅雨のまっただ中。暦上ではそれでも良いかもしれませんが、梅雨のさなかに暑中見舞いでは、受け取った方も興ざめです。しかし、いくら暑くても立秋を過ぎてしまえば、残暑見舞い、こちらは常識です。立秋はちょうど夏の甲子園大会が始まる頃からになります。夏休みと甲子園大会、この二つは暑中見舞いを送る時期の目印となります。
いざ暑中見舞いを書こうと思っても文面をどうしようかと思う人もいるかと思います。「暑中お見舞い申し上げます」までは書けた、そのあとどうしよう?親しい間柄の人に送る場合、フォーマットを気にする必要はありません。「暑中お見舞い申し上げます」ではじめて、「暑い日が続きますがお体をお大切に」あたりで締めくくれば十分ではないでしょうか。「暑中お見舞い〜」と「暑い日が続きます〜」の間には自分の近況報告や、病気をしていた人には「お体の具合はいかがですか」、転勤したり会社が変わった人には「お仕事の具合はいかがですか」など、「相手の状況を気にかけていますよ」的なことを書けば十分なわけです。おきまりの格式張った暑中見舞いよりも、手作り感のある文章に心が引かれます。仕事がらみなである程度格式張った文面ということならば、「暑中見舞い+文例」で検索をかければ、文例サイトにヒットします。会社や自宅には『手紙の書き方』的なマニュアル本は一冊はあるでしょうから、適当な文例を選んで、できれば少しアレンジすれば無難な暑中見舞いが完成します。最初は、文例サイトや『書き方本』のパクリでかまいません。これを少しずつチューニングすることで、オリジナルの文面ができるようになります。ここまでくると、あの人にはどんな文面で、この人にはこんな文章をと、書くこと自体が楽しくなります。
暑中見舞いを送る相手となると、身近な人から順に思いうかぶ人が多いでしょう。しかし、昔の友達や知人にとコンタクトをとり、当時の関係を復活するのも暑中見舞いの楽しさの一つです。たとえば、学生時代の友人や先生。しばらく疎遠になったとしても、4年間同じキャンパスで学んだ仲間。たった一枚のはがきでブランクは解消します。大学の先生も師弟の間柄です。大切にしたいつながりです。もし、新たに大学時代の恩師や友人のような関係を作ろうとすれば至難の業です。転職して他の会社に移った同僚、先輩後輩、上司もおいしい相手です。つながりをキープしておけば、彼らが窓口となって新しい社外人脈の構築や、営業の際の橋渡しになってくれる可能性が出てきます。転職した人の数だけ、社外との窓口が増えると思えわけです。辞めてしまった人間、すでに過去の人ととらえるか、人脈の宝の山と考えるかで、意味合いが大きく変わってしまいます。同様にかつての取引相手で転職した人も関係を維持しておけば、さらにもう一社とコネクションを期待できるでしょう。新しいつながりばかりに目が向きがちですが、過去の関係こそ重視すべきも。それを維持するツールの一つに暑中見舞いがあります。
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仕事始めの日、会社に年賀状が数枚しか届いていないと寂しいものがあります。寂しく感じるだけならばいいのですが、年賀状が少ない事実をだれかに知られてしまうと、「きちんと営業をしているのか?」「人脈のないやつだ」などと思われてしまうかもしれません。会社あてに送った年賀状を見るのは仕事始めの日。業種にもよるでしょうが仕事始めは4日、遅いところでは7日(曜日の関係では10日なんて場合もあります)。いくらこちらが年賀状を出したところで、返事が来るのは松の内を過ぎてからの寒中見舞いだったり、ぱらぱらと届く年賀状ではインパクトはありません。新入社員や転職したばかりの人にとってはたくさんの年賀状が届くはずもありません。その年賀状の少なさを補うのが、暑中見舞いです。「暑中見舞いをもらったけど、返事を出さなかったから年賀状くらいは……」と思ってくれる人がいれば、その分多くの年賀状が届くことになります。年賀状の枚数で能力を評価されることはないと思いますが、年賀状は日ごろのつきあいの証しのようなもの。大切にしたいものです。「年賀状の計は暑中見舞いにあり」なのです。