読書感想文

「読書感想文は児童・生徒の読解力と文章作成力向上に役に立つのか?」概要

日本人の大きなトラウマ(既視感)読書感想文。読みたくもない本を強制的に読まされ、書きたくもない感想文を強要される。果たしてこのような読書感想文が児童・生徒の の向上に役に立つのかどうか、ご意見大募集!

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あなたは2005/11/01以来  人目のお客さまです

悲惨な読書感想文体験を教えてください。

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読書感想文の賛否についてお考えをおきかせください。

 

読書感想文反対派のご意見

読書感想文には反対。

毎回、夏休みは、感想文に頭を悩まされる。読書することはいいが、だからといって、本を読んで原稿3枚分も4枚分もその本について考えるなんてことは無い。大概、思ってもいないことや、きれいごとを書かされるだけだ。

そんなストレスが溜まるだけの行為が、読解力や言語力を鍛える、そんなわけが無い。


私も反対です。本は大好きだけど、感想文という文章にしてしまうことで、すごく自分の気持ちが薄っぺらくなってしまう感じがします。私の文章力がないだけかもしれませんが…。

しかも、先生は思ったことを書けばいいと言うくせに、いざ書くと、ダメ出しをされるし。だからといって、今のところ読書感想文がなくなる予定はない。

感想文得意な方書き方を教えてください。


読書感想文なんて消えてしまえばいい。


私は読書感想文には反対です。

自分自身が文を書くのが苦手というのも大いにありますが、ただ「本を読む」のと、「感想を書くことを前提に本を読む」のでは大きな違いがあると思います。

私は本を読むのは好きです。けれど、自分が気に入った本でも、いざ感想を書こうとするとどう書けばいいかわからなくなったりします。

先生方が知っている本を全員が書くわけでもないし、感想文を読んだ先生がその本を読もうとするわけでもないのに、提出させて何の意味があるのかわかりません。

長々とすみませんでした;


断固反対。

ただ、「夏休みにはたくさん本を読みましょう」でいいじゃないか。受験の人なんか、そんなヒマなどないのだ。それに、感想は人それぞれで、原稿用紙何枚と言われても余裕の人もいるだろうし、「おもしろかった」だけの人もいるはず。十人十色で何が悪い。

それに評価をつけるとは何事だ。先生は何さまなんだ。悲惨な体験の所見てみろ。パクりをした人だって精神的に追い詰められているはず。

学校では先生はエンマ大王みたいな存在だから、誰も逆らえない。どこが民主主義だ。どこが公務員だ。

賛成派の人、答えてください。原稿用紙5枚分で。……なんて言われてみ。できるか。無理だろ。


読書感想文はなくていいです。書きたい人が書いてください。ホントにこれのせいで毎回夏休み最終日は徹夜です。


意味がない。わけがわからない。嫌なことを義務としてやらされている以上、学力向上にはつながらない。


読書感想文には反対。

私は読書が好きだ。読書感想文を書く為、感想を持つ為にに本を読んで何の意味がある。本末転倒ではないか。一冊の本と貴重な時間の無駄だ。私個人の意見だが、本を読みたくない人に無理矢理読ませて何の意味があるのかと思う。

読書はあくまでも娯楽の一環だと私は思う。その上、読書感想文と言うのは名だけで実際は感想なんて無駄に長い文章のうちごくわずか。

読書感想文と言う名の駄文を書く為、貴重な時間を無駄遣いするために本を読んでほしくない。


子どものころ本を読むのが好きで、1冊の本を相当長い時間かけて読んだ。しかし今内容なんてまったく覚えていない。今も本を読んだら、1,2行の特に印象深かった感想が残る程度だ。でもそれでいいと思う。そういう経験をいっぱいすれば良いのだと思う。

何より、私はこの本をよんでこう思った ということを添削するということは、内心の自由に対する侵害ではなかろうか。

感想を書かせることを教えるよりは、まず本の楽しみ方を教えるべきだ。


自分は反対だ。先生はひどい。一気に書いたけど今までで最高のできをなくした。一気に書いたから下書きもないのに。


読書も好きだし、趣味の範囲で小説も書いているが読書感想文を書くことには賛成しかねる。まず第一に自分の感じたこと、思ったことはそれを経験した人にしか知ることができない。ゆえに他人と考えを共有することは不可能だ。

特に「読書」は感じ方が人それぞれ違うのにもかかわらず、それを文章に表せとはどだい無理なことである。義務教育として読書感想文を書くことにまったくもって意義を見いだすことができない。


自分は反対だ。

読書というものは、誰かに強制的に読まされるものではなく、自ら興味のあるものを読んでもらいたいからだ。感想文を書くために本を読んだところで、何の価値も見いだせない。それどころか、私の周りは、文を書くことすら嫌いになっている人が多い。そういう人たちは、誰かのものをパクって提出する。そんなことに何の意味があるだろうか? そんなことをさせるよりも、自分の一番好きな本を心で感じることが大切だ。「読む」力と「考える」力は同時には育たないものであり、「心」と「感情」は同時に育つものである。読書は楽しむものであり、決して苦しむものではないのだ。

以上が自分の読書感想文に対する見解であり、以下が賛成派の人への抗議だ。

他人の感想文を見て何の感情を得られる? ものの価値観は人それぞれ違うものであるのに対し、同一の価値観を育て上げようとする考えしか見受けられない。本との出会いは人との出会いと同じ。第一印象で好ましくなかったら、それからは友達でもいられないことと同じである。ましてや、本を読んだだけで、自分は読解力や感受性にたけているとは思わないでほしい。

本が原因で災いをもたらしたことは過去に幾度もある。それは、自分にあった本を読んでいないからである。書店で楽しそうな本を読むことが一番であり、苦しみながらの本など、味わってほしくない。


感じたことを表現できる能力は大切だと思う。

しかし、感想文の実際は、本文からの引用や決まりきったパターンで構成されている。まず、自分の感嘆を述べ、内容を美化し、必要以上に立派だと盛り立てる。感想文を書いた作者には、自分の書いた主張に責任を持ってほしい。

近年出された、大学入試小論文を機械で採点しようという考え方から、内容よりも形式、独創性よりも文のまとまりが重要であることを証明し、推測するに履歴書は、何が書いてあるかよりも推薦の権威や資格が大切なのである。

つまり、「個性」なんていう爆弾を抱えている人間はとりたくはない。組織で働く人間に一個人としての感情は必要ない。我を殺してまで、脈絡のない建前を書くことを強要されるべきでない。したがって、私は読書感想文に反対だ。


好きでも、読んだこともない本を無理やり読ませ、読書感想文を書かせる。この行為にどういった利点があるのかさっぱり分からない。もちろん、子どもたちはいやいややってるだろうし、中には書けなくて本が嫌いになる子もいるだろう。こんな教育方針を定めている、学校側、県、国、はどうかしているかと思う。非常に不愉快。


私は反対である。読書は、感じたことを言葉にするものではないと思う。「おもしろい」でいいのだ。その中身は人それぞれだから。無理やり言葉にしたところで、それは強制的に搾り出したもの。その人の役にも立たなければ、本の内容を正確に言い表しているとも考えがたい。だから、私は本を読んで思ったことを文章にするなどということは、ばかげていると思う。


校の国語の授業さえ読書を生徒から遠ざけるように思う。本当におもしろい本は自分で見つけるべき。


読書感想文を書かせると読書から子どもたちをもっと遠ざけてしまうと思う。本当になくしてほしい。枚数制限をする意味を教えてほしい。書かせるならちゃんと書き方を指導してほしい。


人によっては作文など国語系の好き嫌いがあり、好きな人にとっては楽かもしれないが、(自分もそうだが)嫌いな人にとっては苦痛になりかねないようなものなので自由提出の方がいいと思う。


感想を書くのはいいけど、枚数指定はおかしいと思います。しかも『感想』に評価つけるなんて……、人に評価つけてるみたいだと思います。


まず、したくもない、感じてもいない、読みたくもない本の感想を無理やり、それに枚数制限などをつけることの意味が分からない。思ってもいないことを長々と首をいたくしながら書いていると本が嫌いになってしまう。おれも強制される読書感想文のせいで本に対する感情が変わった気がする。


本を読むことが大好き。でも読書感想文は大嫌い。先生の選ぶ本にはセンスがない。せめておもしろい本で書きたい。


小学校のころから毎年ずっとある宿題の読書感想文のせいで読書というか本自体が嫌いになった。本を見てもなんか本=勉強って嫌なイメージしかなくて頭が痛い。今こうして成長期の学生が徹夜しなきゃいかんのも感想文のせい。なんで指定の難しい本読まなきゃいけないの。読んでも理解できない。それをどうやって原稿用紙5枚も書かなきゃいかんのか分からない。眠い。けどやらないとどうせちゃんと提出するまで毎日怒鳴られる。やらなきゃいけないっていっても適当に書くだけ。何の力もつくはずがない。ストレスだけです。強制されてもまじめに書く気さらさらない。結論……、このサイトは私の救いです。


読書感想文へのトラウマ(既視感)が普段の読書にまで影響を及ぼしている。


読解力や言語力の向上を求めるのなら、国語の宿題を増やせばよい。それをあえて読書感想文という形にすることに特別な意味があるのだろうか。そもそも読書とは娯楽の一環であり、それをするかしないかは個人の自由であり、強制されるべきではない。


こんなものがあるからそれに縛られて逆に本を読みたくなくなる。読書感想文がなくなれば読みたいときに本を読めて読書をそれなりに楽しめる。あと、本を読むことはいいことだと思うが、その本についての感想文を書くことは何のメリットもないと思う。


賛成派の意見がほぼないことからも、読書感想文が役に立たないのは明らか!


感想なんてそれぞれだし、強制で書くものじゃないよね。


書き方を教わったわけでもないのに「書いてこい」って言われても書けないし、なんで自分が心の中で思ったことを書かないといけないのか。


感想なんて人それぞれだし観点が違うんだからそれに○×つけることなんてできないと思う。


読書は大切です。しかし感想文は100%無駄です。感想なんて長くても短くてもいいのに○枚以上とか再提出とか、学校側はただだらけないように強制的に書かせているだけで、書かせられているこっちのことなんか全然おかまいなし。特に本が指定されている場合は、学校は全然つまらない本の感想を書かせて遊んでるだけじゃないのか? そんな人間を教師にした教育委員会や自治体もいけない。そんなにやらせるなら先生が書けば良いんじゃないか?


僕も読書自体は好きなんだけど、わざわざ思ったことを文章にする必要はまったくないと思う。そもそも本を読むことはそれに関する知識を取り入れるか、暇つぶしに過ぎないんだからやること自体に意義はないと思う。


本を読むことはよいことだが読む本を強制するのはよくない。せめて、各自が興味を持った本を買い(自己負担でもよい)その本についての感想を自由に書かせるべき。そして、書く量も原稿用紙1枚目の半分を超えていればよいことにしてほしい。感想なんて個人で違うので長い感想を持つ人もいれば短い感想を持つ人もいることをどうして学校側は理解できないのか。短い感想でもしっかりした内容の人はいるし、長い感想でも表面だけのものだったりする。感想文は長ければよいというものではないハズ。人の感想文に点数をつけるのもよくない。再提出など、よほどふざけた感想文以外にはもってのほか。


本当に必要ない。過酷な宿題。こんなものこの世から消し去ってほしい。


本を読むこと自体は嫌いでもないし意味がないとも思っていないが(読解力の向上にはつながると思う)、読書感想文は正直大して役に立たないと思う。読書「感想」文とは言うけど、そこで正直な感想を書いたら間違いなく再提出をくらうのは目に見えてる。だから思ってもいないことやきれい事で原稿用紙を埋めなければいけない。こんな作業が自分のプラスになるとは思えない。


読書感想文はいらないと思います。どうしても本を読ませたいのなら、授業の時間に読ませるか、親がその辺指導して家で読ませるかした方がいいと思います。


読書感想文なんて、せっかくの夏休みを台無しにするためある様なもの。さっさとなくなってほしい。


よく本を読むけど普通感想なんて考えながら読まんから、なくなってほしい。感じることは人それぞれなんだからせめて枚数指定すんなって感じ。


個々の感じたことを自由に書くべき感想文で、なぜ原稿用紙〜枚以上や〜枚以下といった条件があるのかさっぱり分からない。


子どものころから本の虫でしたが、課題図書がつまらなかったときは苦痛以外の何ものでもなかったですね。しかも「感想」にマルバツつけられてむかついたし。学校ではロジカルな文章の書き方を教えてほしかったですが、●●●がまだ元気いっぱいで、論理的な先生が珍しい時代だったな……。


本を読ませるとか文を書かせることは大事だと思います。ただ、思ったことを用紙何枚に書けというのはやはり少し無理があるかと。それなら、1シーンの絵でも描かせたらいいんじゃないでしょうか? これなら捏造できませんし、もっともらしいことをかかれることはないですし。


むしろ書籍選びをさせた方が、視野も広がるし、第一自分が好きで選んだ本なのだからどんどんよい感想が書けるはずだ。それなのに長たらしい純文学やらソクラテスなどを読ませて何かを感じさせるということ自体がおかしな話だ。どうせ考えて書いたものばかりだろう。感想は考えるんじゃなくて感じて書くもの。読書感想文そのものを否定してはいないけれど、「課題文書」には自分は反対だ。


期限の中で「所定」本を強制的に読まされ、感想文を書かせることは将来的にかなり本から人間が遠のいていく発端になりかねないと思いました。さらに文字数制限を設け、表現やまとめ方にもケチをつけまるで「ロボット」のように型にはめられていく。このようなことにならないためにもこのようなことは廃止すべき。


読書感想文はめんどくさいだけ。とっとと廃止してほしいと思う。


読書の感想なんて突き詰めて言えばおもしろいかおもしろくないかのどちらかなのに、わざわざ原稿用紙丸1枚(ひどいときには2、3枚)を使って長々とした感想をひねり出すことに何の意味があるのだろうか?


感想文を書くための読書ほどつまらない読書はありません。


本の感想というのはわざわざ文字におこすものではないと思っています。それにそのそれぞれの感想文に賞を贈ることは間違っていると思う。そもそも感想なんて個人の自由で、それに賞を与える=順位をつけるなんてもってのほかだと。なので私は反対です。


書感想文はあまり必要がないのでは?と疑問を抱くことがよくあります。本を読むことも文章も書くことも大切ですが、学校の課題という形で強制的に書かされるのでは少なからずとも本を嫌いになってしまう人がいるのではないかと思います。


私も読書感想文は苦手でしたが、目的が明確でない状況で書かされるからではないかと思います。本を読んで、その本のすばらしさを対象とする人(先生?)に伝えるという様なことが目的なのでしょうが、先生の力不足もあってきちんと子どもに徹底されていないのでしょう。対象や目的のあいまいな文章ほど、分かりにくくて意味のないものはありません。

どんな本だったか?おもしろかったか、悲しかったか?くらいの質問を、夏休み明けに、一人1分程度口頭で答えるようなことをやればよいような気がします。二人組みで相手に質問させながら言ったことを書いていくのもよいかもしれません。書くより話をさせる方が、目的も対象も明確になりますので。


読書感想文は、いらないと思う。なぜなら、強制的にやらせても本のおもしろさが、理解できないし、読書が嫌いになってしまうと思うからだ。それなら、いろんな種類の本をたくさん読んだ方がいい。文を書くより、読むことの方が大切だ。


読書感想文をうまく書こうとすると、どうしても心にもないことを書いてしまう気がする。何も読書感想文じゃなければ文章力を鍛えられないわけじゃないので、あまり必要がない。


はっきり言って無用!! 逆に本嫌いの子どもを増殖させるだけ!! 感想文のための読書がどれだけ苦痛であるか先生は知っているのか?


本を読むことは大切であるし、私は読書感想文がまったく必要がない、とは思いません。それで将来の書類作成とか大学などの面接での小論文作成につながっていくなら儲けものだと思うからです。

ただし、それはちゃんと読ませる対象が決まっていて(決まってないとなかなか書きづらい)、また、基本的な書き方や書く上でのポイントなどを分かっているならです(分かってないとこれまたちゃんと書けない)。

さらに言うなら、何を書いても、それがその人の感想であるということをちゃんと相手が認めて読むなら、です。

そういう基盤がなければ、読書感想文は無駄だと思います。だって、書く上での基本事項を頭に入れずに書き続けても上達はあまりしないし、読ませる対象が「自分に好印象のものでなければ……」というような雰囲気があっては自分が本当に思ったことを書けないのですから。

どうしても高評価を狙った、思ってもいないことを書くことになり、そして文章が書けなくなるわけですね。私はそんな風になるならば読書感想文はいらないと思います。せめて、ちょっとした書き方の基本指導と、読ませる対象を明確にすることをしてほしいと思います。


必要がない。

子どもの書いた読書感想文を読む限り、よいことばかり書き連ねていたり、思っているはずのないことを書いていたりする。学校の宿題の感想文など、なおさらである。これはおそらく「先生」という逆らえない、評価される対象に対して、少しでも好印象を持ってもらおうと無理に考え出した感想を書いているからだと考えている。

読むつもりもなかった本を読んで、思ってもいないことを枚数制限や規定に沿って書かされて、果たして本当の意味で「読書」をしたといえるのだろうか。読書というのは、個人個人で感じたことを自分の中で解釈・整理してさまざまなことを考えて「読書」したというのではないだろうか。その中には、はたから見れば変に見えたり、おかしく感じたりするものがあるのは当然である。無理に書かせたものにそんなものが存在するとは思えないし、何の役に立つのかも分からない。文章にする意味もあるのだろうか。

読書感想文というのはそもそも、自分がすばらしいと思った本の内容を相手に伝える術の一つで、無理に書くものではない。自主的に書くものなのだ。だから無理に書いた読書感想文は、まったく持って意味がないと思った。


義務である以上、本当の意味での効果は期待できないと思う。


本を読むことは大切だと思います。それについて考えることもいいと思います。でも人に見せるために形式を持って書くことが役に立つとは思えません。


いらないと思う。が、読むことはとても大切だとは思う。学校でコンクールに推薦された作文もだいたいは月並みの考えで道徳的でしかない。書くために書けそうな部分を探して書くのでまったくもって普段の読書とはわけが違う。読む人は読むのだから、なくてもよいのではないか?と私は思います。


読書をするのはとてもよいことだと思う。しかし、読書感想文は役に立たないと思う。本を読むと幸せなきぶんになったりと感情が出てくる。それを「文」にしてしまうことでその気分が壊れてしまうからだ。感情に浸っていたいのに……。


ずばり役に立たないと思います。書いて読解力、文章作成力が向上するなら、小・中・高校で合計12年間書いているのだから、社会人に文章を書く人が苦手な人がいるはずがないからです。多分、読書感想文のせいで読書が嫌いな人も多いと思います。社会で子どもの読書離れを心配する前に、読書感想文を書かせないようにすればいいと思います。


本を読む人と、読まない人とでは言語力や思考力、読解力での差はあると思います。だからと言って、感想を書かせ、それを提出、なんてことはまた別の話。大切なのは本を読み、感動したことを忘れない、心に留めていくことだと思います。感想を書く、というのが一番ではなく、読む、という行為が大切なのでは。読書感想文で力を養うよりも、もっといい方法があるのではないでしょうか。


書をすることは大切だ。その内容について深く考えてみることも大切だ。その考えた内容を感想文にすることは時間の無駄だ。それよりは次の本を読んだ方がよい。これが私の持論です。


本を読むこと自体は必要で役に立つと思いますが、それを感想文という形にする必要はないと思います。こんな宿題があるせいで読書が嫌いになる人もいるのではないでしょうか。


大人になってから役に立つのかよく分からない。


私の意見としては、読書感想文は役に立たないと思います。だいたい、本を読むことによって豊かな感性を身につけることはできるかもしれませんが、それをいちいち「感想文」として学校に提出する必要はないと思います。そんなものを書く時間があるのなら、もう1冊本を読んだ方がいいと思います。「思ったことを自由に書く」なんてしょせんは無理な話で、ほとんどをきれい事で埋めている人がほとんどだと思います。そんなことでは「豊かな感性」も「表現力」もなんら変わりはないと思います。


読書感想文が読解力・文章力向上に役立つかと言えば、役立つ可能性は低い。特にいやいや読んだというならなおさらその可能性は低い。読解力・文章力向上をするには日々本を読む&本を読むことが好きになる必要があると思う。年に1回あるだけの読書感想文に何の効果があるのか…。そんなに読解力・文章力向上させたいなら月に何冊か本を読むようにさせた方がいいと思う。

読書感想文賛成派のご意見

反対派の人が多いようですが、僕は読書感想文そのものには賛成です。ただ現状を見る限り、読書感想文には反対派の人たちが主張するような問題がたくさんありますが、僕はその原因は一部の賛成派の人が指摘している運営面の不備と、多くの人が読書感想文の意義を勘違いしていることだと思います。まあ、「読書感想文」という名前にも問題があるのですが……。読書感想文を書く意義は、やはり文章作成能力の向上です。数学の証明問題や履歴書の自己アピール、会議でのプレゼンなど、ありとあらゆるところで役に立ちます。読解力は文章作成能力が身につけば勝手についてくるので、本来、あまり読むことに集中する必要はないわけです。大体、読書感想文なんて、一冊の本を一語一句間違いなく暗記したところで、書けるものではないでしょう? しかし、その文章作成能力を身につける教育が現状ではまったくできていません。僕が思うに、上手な文章は手本となる上手な文章を読まないことには書きようがないので、たとえば入賞の読書感想文をいくつか配って、それを自分の言葉で書き直させるだけでも、手本がある分、一から書かせるより文章作成能力は身につくのではないでしょうか。そのままコピペするのはだめでも、それを(先生が元ネタを知っていても)バレない程度に書き換えるにはかなり頭を使うものですし、その作業の繰り返しだけでもオリジナルの文章を書ける素地は身につくはずです。というわけで、この文章を読んでいる先生方には是非とも、過去の「名作」読書感想文を生徒に配り、それを参考に読書感想文を書くように促していただきたいものです。生徒達は、ネット上で見つけた入賞作なり何なりを、先生にパクリと言われない程度のオリジナリティを加えて提出してくれればいいと思います。


学生の書く文章に携わるアルバイトをしています。ほとんどが課題文を読みこなして自分の考えを書くことを求められているようです。受験や就職において、こういった適性は現代の学生には不可欠と感じています。

読書感想文は、まさに長〜〜い課題文を読んで考えを書くこと。近い将来の練習だと思って取り組んでほしいと思います。

ただ夏休みの課題として与えるのでなく、学校で先生がきっかけだけでも教えてあげてほしい。ある程度の字数の文章をまとめるのは、独学では難しいし、ある意味スポーツの様に練習が必要だと考えます。


 まず、読書感想文自体は、肯定できるでしょう。

何かをまとめ、評価し、私見を述べるのは、極めて高度な営みであり、そのレベルに達しなくても、自分の感想や意見を人に明確に説明する能力は決して無意味なものではないでしょう。

日常生活では「おもしろかった」でいいかもしれませんが、何が、どうおもしろかったのかきちんと説明できる能力は、芸術や文化を受容し共有するために大変重要だよ思います。その能力のために、読書(に限らないけれど)感想文を書かせることは有効でしょう。

しかし、現状読書感想文が十分機能しているとはいえないのは、反対派の皆さんが言うとおりでしょう。大きな問題は、書き方の教育、目的の明示、提出後の評価・改善といった当然のことが無視されていることだと思います。この辺りの運営面での改善は必要ですし、読書感想文教育が順調とも思いませんが、だからといって全否定するのは暴論と思います。


ホワイトカラーの労働者を目指している生徒に対しては、実践的なトレーニングとなり社会に出たときにすぐに役に立つ訓練になると思う。


自分自身、読書感想文は書くのも読むのも好き。本を読むのも、文章を書くのも好きだからかもしれないけど、苦痛に感じたことはない。読んだ本について「おもしろかった」と思っても、よほど気に入らない限り、子どもは読み返すことはない。感想文を書くということを通して、その作品と深く付き合うことができると思う。


読書感想文は、確かに書籍の選択、文章の構成等を考えなければならず、面倒なことでもあるが、大切なものだと思う。

本を読んでの感想、これは読解力を身につけることと、感受性を強めることができると思う。また、感想を書く、ということは、言語力の強化につながると思う。

読書感想文を書き、それによって身につけることのできる力はとても大きく、また、生活に大いに役立てることができると私は考えます。


 

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