読書感想文

「読書感想文は児童・生徒の読解力と文章作成力向上に役に立つのか?」概要

日本人の大きなトラウマ読書感想文。読みたくもない本を強制的に読まされ、書きたくもない感想文を強要される。果たしてこのような読書感想文が児童・生徒の読解力文章作成能力の向上に役に立つのかどうか、ご意見大募集!

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「読書感想文は児童・生徒の読解力と文章作成力向上に役に立つのか?」はリンクフリーです

あなたは2005/11/01以来  人目のお客さまです

悲惨な読書感想文体験を教えてください。

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読書感想文の賛否についてお考えをおきかせください。

 

読書感想文反対派のご意見

反対。児童書専門の書店のオーナーにこのホームページのことを教えてあげたら非常に興味を持っていました。その人も、せっかく子供が本が好きになっても読書感想文を書かされるときらいになるよね。と言っていました。

小さい頃から大量に本を読んだ人は、書き方なんて知らなくても感想文は書けます。逆に、そこまで至らなかった人は、うまくかけませんから本が嫌いになります。子供に本を読ませるのは、本と親しくさせるため。嫌いになること間違いなしの、読書感想文は本当に無駄です。

感想文が得意なお父さん、お母さん、誰に恥じることなく堂々とこの馬鹿馬鹿しい宿題を片付けてしまいましょう。それで、もし入選してしまったら、そんなの選ぶ審査員が悪いんです。


子どもの頃から本を読むのは好きだった。遠足などイベントも嫌いではなかった。だがその後文章ばかり書かされる苦痛が常に付きまとい、気付いたら自発的に本を読む習慣もイベントを楽しむ気さえも無くなっていた。

よく他人に物事を伝えるために文章を書くといわれるが、文章が苦痛→他人に伝えることが苦痛となってしまう事の方がかえって悪影響である。

それよりは本の紹介程度をして、感想文などの枠組みから外して考えて欲しい(書きたい奴だけ書け、評価はしない等といった割り切った考え)。


もともと読書や作文が得意な子供にとっては有用でしょうね。小学校中学年あたりになれば、そのへんの能力差はハッキリ出てきますよ。嫌いな子供にはいくら勧めても押し付けても全く無意味です。


随分昔の事ですが、読書感想文で悩まされた一人です。現在の学校における読書感想文の状況を理解してはいないのですが、僭越ながら意見させていただきます。

・楽しむ読書は各自で実施していただければ良いかと思います。課題図書はそれとは異なる目的でしょうから。
・もっと「感想文の書き方」を学校で教える事も必要でしょうが、そこを試行錯誤するのも学習では。それまでの国語の授業で教わった事を応用したり(全国学力テストでは確か応用力が弱かったのでは?)。
・課題に対する評価はきちんと行われるべきです。児童や学生の努力に報いるのは教員の最低限の務めです。否定的な感想等があっても当然ですし、くれぐれも慎重で寛容な評価が求められます。
・同じ図書を読んでも感想は人それぞれ。それを共有し、他人の意見を尊重し、また意見できるような場があればベストですね。こういう場がないから、自分の感想そのものや、それをいかに伝えるかを考えないのでしょうね。皆で同じ本を読む意義の一つはこれでは?

長い長い夏休みにTVを観る暇や友人にメールする時間もない程忙しく、それでも有意義な時間を作りたい人は、是非とも真剣にこの課題に取り組み、可能な限り短時間で終わらせる事で双方の目的を達成することを望みます。その際に養われる集中力だけでも、後で必ず役に立ちます。ところで、このHPは問題提起として非常におもしろいですね。一つの手法として評価できると思います。是非、全国の児童・生徒・保護者・教師に見てもらいたいです。(笑)

なみに、以下は学習指導要領(小学5・6年の国語)からの抜粋です。

「目的や意図に応じ、考えた事などを筋道を立てて文章に書くことができるようにするとともに、効果的に表現しようとする態度を育てる。目的に応じ、内容や要旨を把握しながら読むことができるようにするとともに、読書を通して考えを広げたり深めたりしようとする態度を育てる」。


反対。今日のNHKのクローズアップ現代?だったかな。そこで紹介されているのを見てここにきました。

読書感想文って感想書いてもいい評価受けないので名前変えた方が。ついでに読む本も課題が出されて、自分の読みたくない本読まされ、感想を書かせられる。教員が名作を押し付けるようなもの。しまいに学校教員は感想文の書き方教えない。

結局自分は塾で書き方教わりましたよ。


私は反対。

強制という所にも不快感を感じるし、それに…別に好きでもない本の感想を嫌々ながら書かされて、それが本当に文章力の上達に繋がったり将来の役に立ったりするのか甚だ疑問なんだよ。

「読書感想文」なんて名前だが、評価される文章なんてのは大体感想じゃない。「嘘」だ。賞とったのなんて見てみなよ。あんなエライ考え方をなさってると思う? 子供がさ。あんなにずけずけと嘘言われちゃあ、羊飼いも真っ青だろ(笑)。ま、

要するに、読書感想文賛成派の皆さんは可哀そうだなぁということです。


反対。書き方も教えないで、読みたくも無い本で、思いもしない感想を書くなんて、絶対無駄。みんな書くのは所詮嘘、綺麗事。つまり、読書感想文=自分の心を偽る力を養う宿題


読書感想文なんて別に書かなくてィィじゃん!! 夏休みゎ毎回読書感想文に悩まされます


なんで感想文とかあるのか意味が分からない。


断固反対です。読書をし、自分なりの感想をもつことは大事です。しかし、その感想を文字にしたものを提出するのはおかしいと思います。それを評価するなんて以ての外です。そんなもので成績をつけたりするのは腐ってます。それに、枚数を指定することは、書ける人は全て自分の考えが書けるでしょうが、苦手な人は自分の考え以外に無理に絞り出した考えを書かなければならないことになります。その結果、子供たちが読書や作文嫌いになってしまうのです。本来、読書というものは豊かな心を育てるものであり、苦しい思いをするものではありません。読書感想文は自由提出にすべきだと思います。


絶対たたないと思いますよ。学校でそういう力をつける勉強方はしていないのでやる意味がないとおもわれます。先生達はおかしいのではないでしょうか。


全く必要ない。出すにしても、子供だけで何とかしないといけなくなる夏休みの宿題にするというのがおかしい。最近の親は宿題を手伝ってあげられない人が多い。読書感想文の書き方を教えて、それを見てあげられる時間がない。

先生が指導出来る授業中に一から教えてあげるべき。読書感想文の意味も分からず本文から引用する子が非常に多い。仮に頑張って時間をかけて書いて提出すると「やり直し」「誰かの写したでしょ」・・・やる気出ますか? 無理矢理書かされて国語力が伸びると本当に思いますか? 頭を使う? 意味が分からない状態で頭を使ったって痛くなるだけでしょう?

読書感想文について、マトモに教えてもいないくせに教師面しないで下さい。

分からないんだから、こういったサイトでコピペしてしまうのは仕方ないと思います。そしてバレたら反省文10枚? 無理矢理押さえつけて書かせて楽しい? 勉強になってると本気で思ってるんですか?

これ以上、読書嫌いの子供を増やさないで下さい。本好きとしては悲しいです。昔の教育の仕方と今の教育の仕方は違うと思います。今の教育の仕方で読書感想文を宿題にするのはおかしい。

とりあえず親が感想文書かないといけない状況にするのはやめて下さい。再提出や呼び出しは本当に困ります。

再提出は普通に9時切るときもありますし、呼び出しは仕事中ですよ?行けないに決まってるでしょう。

「先生がいて、アドバイスをくれる状況」でなら良い勉強になると思います。「夏休みの宿題」については反対です。


このページに来るまでは賛成派でしたが、皆さんの意見を見たので反対派になりました。

賛成派の方々の意見には「国語力が伸びる」「自分の頭で考える力がつく」と多くありますが、それならば何故わざわざ「読書感想文」なのでしょうか? 「頭で考える」力をつけるための方法ならば、感想文などよりも将棋やディベートの方が遥かに有意義かつ合理的であるような気がします。

ディベートは学校の方も時間が取れない可能性を考慮できるのですが、将棋ならば賛成派のご意見である「考える力や表現力がつく」ことが期待できると思いませんか? 勿論、将棋に限らずほかの選択肢もあることでしょう。真っ向から否定するつもりは毛頭御座いません。しかし、読書感想文にまで点数をつけたり、というような意見を聞いて自分の中に引っかかるものがあった為に投稿させていただきました。

それと、何を勘違いしたのかよく解りませんがこのページの存在について異議を唱えている読書感想文賛成派の方がずいぶんいらっしゃる。その意見は「賛成」ではなく「このページにおける子供への教育上の影響」や「ズルはいけませんよ」といった内容であり、感想文に対する意見には成り得ないと思います。法律的にも「表現や言論、思想の自由」と言えるでしょう。その点が「賛成派」の(一部の方々の)反論点ならばトンでもないお門違いです。

拙い16歳如きの若造の文章ではありますが、少しでも意見が伝われば幸いです。


 賛成する奴は○○○○。

特に大人で子供の時に苦い体験をしたくせに賛成する奴は人間失格。「本当の学力は作文で劇的に伸びる」という本に読書感想文が作文では無いことと書きにくいことが示唆されている。しかも感想文はその本の第2章に最初に出てくる作文と同じようなものである。しかもその本には事実を書けと書いてあるが感想文の事実はあらすじだけ、しかも104ページにあらすじを書いたために奈落の底へ突き落とされた著者の苦い体験がある。しかもこんなに書きにくいのに5枚書けとか強制されると危険な言葉を言うが関係者をぶっ殺したいぐらいむかつく。

最後にその本にはない独自の意見を言う。感想文なんぞ表に書けばいいのだ。だが表に書かせても似たものばかりだから書く意味が無い。だから感想文は弱いものいじめ。


断固反対です。課題図書があるのはともかく、なぜ「〜枚以上」などという枚数が定められているのか全く理解できません。読みたくもない課題図書を強制的に読まされ、数枚の原稿用紙を埋めることと教師からよい評価をもらうために思ってもない文章を長々とかかされる。こんなことが、学生時代ずっとつづきます。書き方を教師に訊ねれば「思ったことを書きなさい」と言われますが、「この本はとても面白かった」と「自分が本当に思った事」を書けば叱られるか呆れられるのどちらかでしょう。これは明らかに矛盾です。


絶対に不必要。反対!


僕は、反対です。毎年、毎年思ってもいないありきたりの文を書かされ、思ったことを素直に書くと「再提出」と言われ、さらに『感想』に点数を付けられ、もう、ふざけるなって感じです。「夏休みは長いから何とかなる」と先生方は言いますが、なんともならないから苦労しているのです。読書は楽しむ為にあるものだ、と僕のお父さんは言ってました。他の反対派の方々も言っていますが、感想文を書くために読書をするなんて全く楽しくありません。むしろ地獄です。


必要ない。会社の試験に作文がある事を考えれば必要だが、そもそも会社の試験に作文がある必要性が全く解らない。このような事をやらせては子供が文章嫌いになるきっかけを作るだけ。それと俳句と課題作文も必要ない。俳句なんか覚えたところで将来全く役に立たない。


自分はまだ中学生ですが、「学生から見ればそうだろうが……」という反論はやめて頂きたいです。

自分は反対です。確かにこのサイトは駄目だと思います。だから、このサイトの話はおいといて。

読書感想文は無い方がいいとは言いません、ですがこのような感想文の課題を出すなら出すで授業でそのようなことをして頂きたいものです。ですが実際の授業では正解、答え、そのようなはっきりとしたものを求める授業しかしていません。だからと先生に「感想文の書き方がわかりません。」といってもせいぜい「お前がその本をみて思ったことを書けばいい」その程度の答えしか返ってきません。

なら「この本は面白くも無く特に何も感じませんでした」。そう書けばいいんですか? もちろん原稿用紙1枚も埋めることができません。そしたら先生はまぁ怒るか呆れるかですよね? 成績にも響きますし、一部の受験生にとっちゃこれほどきつい重荷は無いんですよ。

だからこんなしようもないサイトやフィクションを書き出す生徒まで出てくるんですよ。それに本を選ぶまでにも結構な時間がかかりますし。ほかの課題も大量にあるんですよ。悪い言い方するとこんな紙にいくら奇麗事だらだらと並べてもどんな技能も向上しないんですよ。どうせ「面白くない」なんて書く生徒一人もいないでしょう? 時間と金の無駄なんですよ。


反対です。賛成の人いるのでしょうか?


反対です。正直なんでこの世の中に「読書感想文」なんてのがあるのか……、理解できません。“夏休みに本を読む”この宿題が嫌というわけではありません。先生受けや行数埋めのために頭を使うのがしんどいんです。自分の思ったことをそのまま文にできればいいけどそういうわけにはいかない。嘘をついてまで読書感想文を仕上げるのは正直しんどいです。読書をもっと楽しみたい!


思ってもいない事をずらずらと書かせるだけで、書かされる側に取ってみれば、時間の浪費に他ならないと思う。


反対です。本は楽しく読むものだと思います。でもこうなんっていうヵ……、本を楽しく読みたいのに考えて読んでいたらつまらないと思います。ってかそんな読書したくありません。だから反対です。


反対です。私は読書が大好きです。しかし、読書感想文は大嫌いです。普通に読んで感想を5枚書けと言われても無理です。だから、「感想文を書くために」その本を読まなくてはいけません。私はただ楽しく本が読みたいのに、「こんなことを書けば先生受けいいかも」とか「このことを書けば原稿用紙半分は埋まるかな」なんてことを考えながら本を読みたくありません。だから、私は読書感想文は反対です。


読書感想文には断固として反対である。

学校の読書感想文には、公的にではなく、何らかの形でモデルの感想文、つまり、模範解答が存在する。単なるエッセイではなく、感想でもなく、「読書感想文」という形式を持った文章を要求するからである。起承転結はなるほど、文章を書く上では重要であるが、モデルとして存在する「読書感想文」は、おもしろみのない文章形式が、起承転結という形を取って居座っている。

コンクール入賞作品を読めば分かるが、書籍の中の一つの文章を引用して、それに対して、著者が感じたこと、考えたことを、自分なりに推測して書いている場合が多い。著者や、登場人物が、思ったことを、どのように自分が表現するかが問題になっている。

もちろん、批判や反論も見当たらない。そのような感想文が質のよいものとして、教師に選ばれ続ける「読書感想文」など、賛成意見にもあったが、自分の意見を言う場のない日本教育そのものではないか。

もし、自由に、考え、述べ、意見することができる「読書感想文」であるならば、両手を挙げて賛成するが、現実はそうではない。これらの理由により、即刻、このような悪しき習慣は排除すべきである……、とか思います。

ので、エッセイにすればどうでしょうか。読書だけでなく、テレビや、映画、日常のこと、生物学でもいい。ぞうについて。とか。好きに書かせることこそ、文章に慣れ、読むことに慣れる一番の道ではないでしょうか。


反対です。自分は、比較的本をよく読む方だと思いますが、興味のある本を、好きなように読むのが読書だと思います。嫌いな本を読んで、そのうえ感想文を書け、だなんて酷過ぎます。横暴です。好きな本を自由に読む、それの何が悪いのでしょうか。


「読書感想文は児童・生徒の読解力と文章作成力向上に役に立つのか?」と問われれば、私は役立たないと捉えています。何故なら、読書とは一種の娯楽であるし、読解力を鍛えるには日常的な読書を通して本の中に広がる世界を楽しむことが重要であって、感想を持ち、それを表現することが、必ずしも大切ではないからである。それゆえ、読書感想文は表現方法のひとつとしては有効であるが「宿題」という形で強制すべきものではないと思う。

かく言う私も、物心もつかないような頃から大量の書物を読み(お陰で3歳頃には読み聞かせから独り立ちした)、4歳頃にはひらがなと覚えたての漢字で物語を書いていたクチで、受賞経験もそれなりにあるが、それに比べてレポート以外の作文や読書感想文などの「原稿用紙」モノは大嫌いで、先生が首をかしげるほどひどい内容だった。おそらく、創造性が求められる前者に対し、後者は小論文のように客観性と表現力の両方が求められるからであろう。これらを育てるのは非常に難しいことであるし、そもそも「感想」とは感覚的なものであって、それを事細かに長々と説明するのは如何な物かと思う。っていうか、原稿用紙2枚程度の書評でいいと思う。文章を要領よくしかも短くスッキリとまとめるのは意外と難しい。好きな本や漫画を選んで書評形式にしたほうが、課題図書なんていう馬鹿馬鹿しい制約にとらわれず、よっぽど文章作成能力の育成に力を発揮できるんじゃなかろうか。


夏休みに読書を課すのは賛成、でも感想文を課すのは反対。 「文章を解析し読み解く力」と、「文学に対し自分の感想を持つ力」は別のはずだろう?だったら、何か家電製品のマニュアルを渡して、休み明けに製品の使い方を口頭で説明させたほうがよっぽど文章の力が付くね。大槻教授が著書で『文科系が国を滅ぼす』と言うはずだ。


自分にも小学6年の娘がいて、夏休みの宿題に読書感想文があるかどうかちょっとわからないが、今の一般的な『課題としての読書感想文』のあり方には疑問を感じる。かつての自分もあまり好きな課題ではなかった。

今回このサイトを拝見し、多くの賛成・反対意見に触れることができて、自分なりにこの『読書感想文』に対してどう向き合うか、たとえば自分の娘から「読書感想文をどう書いたらいい?」と聞かれたとき、このようにアドバイスしてみようかな、と思うことをいくつか述べてみます。

  • 読書感想文を『書評』として捉える……自分が読んで気に入ったところ、おススメのポイントをどう文章表現して、感想文を読む相手の購買心(?)を喚起するかに重点を置く。書評なら書き方のお手本は山ほどあるはずだ。新聞、雑誌、ネットetc.……。
  • 枚数制限に対しては『ノルマ』と捉える……個人ブログならともかく、どんな活字媒体であれ一定の『記載枠』があるものである。試験の論文問題などもそうだ。これも課題の枚数制限に従って上記のお手本に多く触れさせてみる。ファッション雑誌やテレビガイドの書評など、一見枠は小さいが、原稿用紙に書いてみると意外とマスが埋まるものである。
  • もし読書感想画が課題として出たら、『本の表紙や挿絵の製作』として捉えてみる……これも好き嫌いはあるが、参考資料はいくらでもある。その中から自分にできそうな表現を選んでトライしてみる。
  • 採点に対しては、厳しいようだが、書いたものに対して『売れたか・ボツったか』と捉える……出版社・編集者との「ウマの合う・合わない」で評価が変わることは世の中いくらでもあること。ましてや時代の流行廃りに左右されることなど当たり前。問題は、つまらないミス(誤字・脱字)やおかしな文章表現で自分の主観が相手にきちんと伝わりきれてなかったかを、採点された後で検証できるか。

以上駄文を綱ねましたが、一見下らないと思われる学校課題を、何とか面白く向き合えないか考えを述べさせていただきました。


私は、読書感想文に反対です。 読解力を付けるには、本の内容の要約だけでも良いと思うし、文章作成能力を付けるには、ゲームの感想文でも漫画の感想文でも何でも良いと思うからです。 また、図書の指定だとか枚数の指定だとかはまさに愚の骨頂だと思います。「○○が面白かった」とか、「××が△△だから□□と思った」とか、正直に感想を書き連ねても、原稿用紙1枚が精一杯です。読みたくも無い本だったら尚更です


現状の読書感想文に反対です。理由は、

  • 学校で、作文指導がほとんどない
  • 生徒が文章を書くことに慣れていない
  • ただ感想を書けという問題は大人でも難しい

感想文ではなく、本の要約でも十分読解力や文章作成能力向上につながる。


どっちかというと反対ですかね。読書感想文が問題なのはまず、宿題では原稿用紙2枚書け1枚書けというのがいけないと思う。極端に言えばその子が本気で書いたものなら1行でもいいのではないだろうか? 無理矢理10行11行書けなどと言うのは、それはその子の本当の感想文ではない。今の読書感想文の書かせ方では意味がないと思う。でも読書感想文の書かせ方、これを改めれば僕は賛成です
でも難しいところですよね、その子が本気で書いたかどうかなんて。


反対です。感想文以外でも読解力や言語力はつきます。それに、感想文で鍛えるくらいなら、確実に読解力などをつける教材など与えてほしい。時間の無駄になっている。

また、感想に字数制限や評価をつけるのもどうかと思う。だから、こういうサイトができても全然おかしくない。逆に、これを理解できない先生たちの方がおかしい。


たった今読書感想文を書き終えました。今年のノルマは原稿用紙5枚目の半分以上5枚目が終わるまで。2時間以上かけてノルマを達成したけど思ってもいないことを書く読書感想文なんか意味がないです。3枚くらいなら普通に書けますが、簡単に5枚も書けと言われても書けるはずがない。だから結局ネットに頼る。こんな無駄な宿題、必要ないです。まだ問題集とかやってた方がマシ。


賛成、反対は別にして、問題点はいろいろあると思います。

  • 先生に見せることを前提として書くので、いわゆる道徳的な文章になってしまう。非道徳的なことを書くとしかられるのではと、本心を書かなくなってしまう。
  • 先生は作文のテクニックを解説し教えるべき。
  • 自分の考えに近い好きな感想文をコピーして、パターンを覚えたら、オリジナルのものを入れて自分流の感想文をつくる練習する。

そういう中で表現力も身につくのではないでしょうか。


反対です。


自分は読書感想文には反対だ。まず、反対派の方々が仰るように、無理やり書かせることによって読書そのものが苦痛にしかならなくなる人もいると思う。そのような人が将来大人になって家庭を持ったとしても、子どもに読書の楽しさというものを伝えられなくなると思う。

しかし、国や県は一向に読書感想文を「書かせる」のをやめようとしない。それはもしかしたら、自分たちも昔にやったから今の人たちにも同じように「苦しんで」やってもらわなければ、自分たちがやっただけ損をする、と思っているのではないかと思う。つまり、「読解力をつける」などはうわべだけであって、実は自分たちがやった分を損しないようにしているのではないか、ということである。

部活の例に例えてみると、上級生は準備などをだらけて1年生に押し付けていた。そうするとその1年生は2、3年生になったときに自分たちがやられていたように、1年生に押し付けようとする。まさに悪循環である。この因果をどこかで断ち切らない限りこれは永遠に続く。つまりどこかの段階の人たちがグッと我慢して一緒に準備をしようとしなければならないのである。

もう一つの考えとしては、ただ単に制度を廃止すること自体めんどくさがって廃止しようとしないのではないか、ということである。多くの学生が苦しんでいるのにもかかわらず、過去の習わしを続けていて、制度を廃止しようと決心もできない今の政府は腐っているのである。まず政府自体 うわべだけキレイ事を並べているだけで、読書感想文をやらせることに意味があるのかちゃんと分かっていないのだと思う。とりあえず過去の習わしにならっとけばいいや、という考えがみえみえである。先ほども述べたように、今の政府は決断力がなく、腐っているのである。

一つ目の考えは、読書感想文というよりは人間の本性についてだが、二つ目の考えはありえるのではないかと思う。でも一つ目の考えは少なからず含まれているのではないかと思う。

本当に読書感想文をやらせたいなら、実質的な効果を、すべての人類が納得するように挙げてもらいたいものである。


読書感想文には反対。

毎回、夏休みは、感想文に頭を悩まされる。読書することはいいが、だからといって、本を読んで原稿3枚分も4枚分もその本について考えるなんてことはない。大概、思ってもいないことや、きれい事を書かされるだけだ。

そんなストレスがたまるだけの行為が、読解力や言語力を鍛える、そんなわけがない。


私も反対です。本は大好きだけど、感想文という文章にしてしまうことで、すごく自分の気持ちが薄っぺらくなってしまう感じがします。私の文章力がないだけかもしれませんが…。

しかも、先生は思ったことを書けばいいと言うくせに、いざ書くと、ダメ出しをされるし。だからといって、今のところ読書感想文がなくなる予定はない。

感想文得意な方書き方を教えてください。


読書感想文なんて消えてしまえばいい。


私は読書感想文には反対です。

自分自身が文を書くのが苦手というのも大いにありますが、ただ「本を読む」のと、「感想を書くことを前提に本を読む」のでは大きな違いがあると思います。

私は本を読むのは好きです。けれど、自分が気に入った本でも、いざ感想を書こうとするとどう書けばいいか分からなくなったりします。

先生方が知っている本を全員が書くわけでもないし、感想文を読んだ先生がその本を読もうとするわけでもないのに、提出させて何の意味があるのか分かりません。

長々とすみませんでした;


断固反対。

ただ、「夏休みにはたくさん本を読みましょう」でいいじゃないか。受験の人なんか、そんなヒマなどないのだ。それに、感想は人それぞれで、原稿用紙何枚と言われても余裕の人もいるだろうし、「おもしろかった」だけの人もいるはず。十人十色で何が悪い。

それに評価をつけるとは何事だ。先生は何さまなんだ。悲惨な体験のところ見てみろ。パクりをした人だって精神的に追い詰められているはず。

学校では先生はエンマ大王みたいな存在だから、誰も逆らえない。どこが民主主義だ。どこが公務員だ。

賛成派の人、答えてください。原稿用紙5枚分で。……なんて言われてみ。できるか。無理だろ。


読書感想文はなくていいです。書きたい人が書いてください。ホントにこれのせいで毎回夏休み最終日は徹夜です。


意味がない。わけが分からない。嫌なことを義務としてやらされている以上、学力向上にはつながらない。


読書感想文には反対。

私は読書が好きだ。読書感想文を書くため、感想を持つために本を読んで何の意味がある。本末転倒ではないか。1冊の本と貴重な時間の無駄だ。私個人の意見だが、本を読みたくない人に無理やり読ませて何の意味があるのかと思う。

読書はあくまでも娯楽の一環だと私は思う。その上、読書感想文と言うのは名だけで実際は感想なんて無駄に長い文章のうちごくわずか。

読書感想文と言う名の駄文を書くため、貴重な時間を無駄遣いするために本を読んでほしくない。


子どものころ本を読むのが好きで、1冊の本を相当長い時間かけて読んだ。しかし今内容なんてまったく覚えていない。今も本を読んだら、1,2行の特に印象深かった感想が残る程度だ。でもそれでいいと思う。そういう経験をいっぱいすればよいのだと思う。

何より、私はこの本をよんでこう思った ということを添削するということは、内心の自由に対する侵害ではなかろうか。

感想を書かせることを教えるよりは、まず本の楽しみ方を教えるべきだ。


自分は反対だ。先生はひどい。一気に書いたけど今までで最高のできをなくした。一気に書いたから下書きもないのに。


読書も好きだし、趣味の範囲で小説も書いているが読書感想文を書くことには賛成しかねる。まず第一に自分の感じたこと、思ったことはそれを経験した人にしか知ることができない。ゆえに他人と考えを共有することは不可能だ。

特に「読書」は感じ方が人それぞれ違うのにもかかわらず、それを文章に表せとはどだい無理なことである。義務教育として読書感想文を書くことにまったくもって意義を見いだすことができない。


自分は反対だ。

読書というものは、誰かに強制的に読まされるものではなく、自ら興味のあるものを読んでもらいたいからだ。感想文を書くために本を読んだところで、何の価値も見いだせない。それどころか、私の周りは、文を書くことすら嫌いになっている人が多い。そういう人たちは、誰かのものをパクって提出する。そんなことに何の意味があるだろうか? そんなことをさせるよりも、自分の一番好きな本を心で感じることが大切だ。「読む」力と「考える」力は同時には育たないものであり、「心」と「感情」は同時に育つものである。読書は楽しむものであり、決して苦しむものではないのだ。

以上が自分の読書感想文に対する見解であり、以下が賛成派の人への抗議だ。

他人の感想文を見て何の感情を得られる? ものの価値観は人それぞれ違うものであるのに対し、同一の価値観を育て上げようとする考えしか見受けられない。本との出会いは人との出会いと同じ。第一印象で好ましくなかったら、それからは友達でもいられないことと同じである。ましてや、本を読んだだけで、自分は読解力や感受性にたけているとは思わないでほしい。

本が原因で災いをもたらしたことは過去に幾度もある。それは、自分にあった本を読んでいないからである。書店で楽しそうな本を読むことが一番であり、苦しみながらの本など、味わってほしくない。


感じたことを表現できる能力は大切だと思う。

しかし、感想文の実際は、本文からの引用や決まりきったパターンで構成されている。まず、自分の感嘆を述べ、内容を美化し、必要以上に立派だと盛り立てる。感想文を書いた作者には、自分の書いた主張に責任を持ってほしい。

近年出された、大学入試小論文を機械で採点しようという考え方から、内容よりも形式、独創性よりも文のまとまりが重要であることを証明し、推測するに履歴書は、何が書いてあるかよりも推薦の権威や資格が大切なのである。

つまり、「個性」なんていう爆弾を抱えている人間はとりたくはない。組織で働く人間に一個人としての感情は必要ない。我を殺してまで、脈絡のない建前を書くことを強要されるべきでない。したがって、私は読書感想文に反対だ。


好きでも、読んだこともない本を無理やり読ませ、読書感想文を書かせる。この行為にどういった利点があるのかさっぱり分からない。もちろん、子どもたちはいやいややってるだろうし、中には書けなくて本が嫌いになる子もいるだろう。こんな教育方針を定めている、学校側、県、国、はどうかしているかと思う。非常に不愉快。


私は反対である。読書は、感じたことを言葉にするものではないと思う。「おもしろい」でいいのだ。その中身は人それぞれだから。無理やり言葉にしたところで、それは強制的に搾り出したもの。その人の役にも立たなければ、本の内容を正確に言い表しているとも考えがたい。だから、私は本を読んで思ったことを文章にするなどということは、ばかげていると思う。


校の国語の授業さえ読書を生徒から遠ざけるように思う。本当におもしろい本は自分で見つけるべき。


読書感想文を書かせると読書から子どもたちをもっと遠ざけてしまうと思う。本当になくしてほしい。枚数制限をする意味を教えてほしい。書かせるならちゃんと書き方を指導してほしい。


人によっては作文など国語系の好き嫌いがあり、好きな人にとっては楽かもしれないが、(自分もそうだが)嫌いな人にとっては苦痛になりかねないようなものなので自由提出の方がいいと思う。


感想を書くのはいいけど、枚数指定はおかしいと思います。しかも『感想』に評価つけるなんて……、人に評価つけてるみたいだと思います。


まず、したくもない、感じてもいない、読みたくもない本の感想を無理やり、それに枚数制限などをつけることの意味が分からない。思ってもいないことを長々と首をいたくしながら書いていると本が嫌いになってしまう。おれも強制される読書感想文のせいで本に対する感情が変わった気がする。


本を読むことが大好き。でも読書感想文は大嫌い。先生の選ぶ本にはセンスがない。せめておもしろい本で書きたい。


小学校のころから毎年ずっとある宿題の読書感想文のせいで読書というか本自体が嫌いになった。本を見てもなんか本=勉強って嫌なイメージしかなくて頭が痛い。今こうして成長期の学生が徹夜しなきゃいかんのも感想文のせい。なんで指定の難しい本読まなきゃいけないの。読んでも理解できない。それをどうやって原稿用紙5枚も書かなきゃいかんのか分からない。眠い。けどやらないとどうせちゃんと提出するまで毎日怒鳴られる。やらなきゃいけないっていっても適当に書くだけ。何の力もつくはずがない。ストレスだけです。強制されてもまじめに書く気さらさらない。結論……、このサイトは私の救いです。


読書感想文へのトラウマ(既視感)が普段の読書にまで影響を及ぼしている。


読解力や言語力の向上を求めるのなら、国語の宿題を増やせばよい。それをあえて読書感想文という形にすることに特別な意味があるのだろうか。そもそも読書とは娯楽の一環であり、それをするかしないかは個人の自由であり、強制されるべきではない。


こんなものがあるからそれに縛られて逆に本を読みたくなくなる。読書感想文がなくなれば読みたいときに本を読めて読書をそれなりに楽しめる。あと、本を読むことはいいことだと思うが、その本についての感想文を書くことは何のメリットもないと思う。


賛成派の意見がほぼないことからも、読書感想文が役に立たないのは明らか!


感想なんてそれぞれだし、強制で書くものじゃないよね。


書き方を教わったわけでもないのに「書いてこい」って言われても書けないし、なんで自分が心の中で思ったことを書かないといけないのか。


感想なんて人それぞれだし観点が違うんだからそれに○×つけることなんてできないと思う。


読書は大切です。しかし感想文は100%無駄です。感想なんて長くても短くてもいいのに○枚以上とか再提出とか、学校側はただだらけないように強制的に書かせているだけで、書かせられているこっちのことなんか全然おかまいなし。特に本が指定されている場合は、学校は全然つまらない本の感想を書かせて遊んでるだけじゃないのか? そんな人間を教師にした教育委員会や自治体もいけない。そんなにやらせるなら先生が書けばよいんじゃないか?


僕も読書自体は好きなんだけど、わざわざ思ったことを文章にする必要はまったくないと思う。そもそも本を読むことはそれに関する知識を取り入れるか、暇つぶしに過ぎないんだからやること自体に意義はないと思う。


本を読むことはよいことだが読む本を強制するのはよくない。せめて、各自が興味を持った本を買い(自己負担でもよい)その本についての感想を自由に書かせるべき。そして、書く量も原稿用紙1枚目の半分を超えていればよいことにしてほしい。感想なんて個人で違うので長い感想を持つ人もいれば短い感想を持つ人もいることをどうして学校側は理解できないのか。短い感想でもしっかりした内容の人はいるし、長い感想でも表面だけのものだったりする。感想文は長ければよいというものではないハズ。人の感想文に点数をつけるのもよくない。再提出など、よほどふざけた感想文以外にはもってのほか。


本当に必要ない。過酷な宿題。こんなものこの世から消し去ってほしい。


本を読むこと自体は嫌いでもないし意味がないとも思っていないが(読解力の向上にはつながると思う)、読書感想文は正直大して役に立たないと思う。読書「感想」文とは言うけど、そこで正直な感想を書いたら間違いなく再提出をくらうのは目に見えてる。だから思ってもいないことやきれい事で原稿用紙を埋めなければいけない。こんな作業が自分のプラスになるとは思えない。


読書感想文はいらないと思います。どうしても本を読ませたいのなら、授業の時間に読ませるか、親がその辺指導して家で読ませるかした方がいいと思います。


読書感想文なんて、せっかくの夏休みを台無しにするためある様なもの。さっさとなくなってほしい。


よく本を読むけど普通感想なんて考えながら読まんから、なくなってほしい。感じることは人それぞれなんだからせめて枚数指定すんなって感じ。


個々の感じたことを自由に書くべき感想文で、なぜ原稿用紙〜枚以上や〜枚以下といった条件があるのかさっぱり分からない。


子どものころから本の虫でしたが、課題図書がつまらなかったときは苦痛以外の何ものでもなかったですね。しかも「感想」にマルバツつけられてむかついたし。学校ではロジカルな文章の書き方を教えてほしかったですが、●●●がまだ元気いっぱいで、論理的な先生が珍しい時代だったな……。


本を読ませるとか文を書かせることは大事だと思います。ただ、思ったことを用紙何枚に書けというのはやはり少し無理があるかと。それなら、1シーンの絵でも描かせたらいいんじゃないでしょうか? これなら捏造できませんし、もっともらしいことをかかれることはないですし。


むしろ書籍選びをさせた方が、視野も広がるし、第一自分が好きで選んだ本なのだからどんどんよい感想が書けるはずだ。それなのに長たらしい純文学やらソクラテスなどを読ませて何かを感じさせるということ自体がおかしな話だ。どうせ考えて書いたものばかりだろう。感想は考えるんじゃなくて感じて書くもの。読書感想文そのものを否定してはいないけれど、「課題文書」には自分は反対だ。


期限の中で「所定」本を強制的に読まされ、感想文を書かせることは将来的にかなり本から人間が遠のいていく発端になりかねないと思いました。さらに文字数制限を設け、表現やまとめ方にもケチをつけまるで「ロボット」のように型にはめられていく。このようなことにならないためにもこのようなことは廃止すべき。


読書感想文はめんどくさいだけ。とっとと廃止してほしいと思う。


読書の感想なんて突き詰めて言えばおもしろいかおもしろくないかのどちらかなのに、わざわざ原稿用紙丸1枚(ひどいときには2、3枚)を使って長々とした感想をひねり出すことに何の意味があるのだろうか?


感想文を書くための読書ほどつまらない読書はありません。


本の感想というのはわざわざ文字におこすものではないと思っています。それにそのそれぞれの感想文に賞を贈ることは間違っていると思う。そもそも感想なんて個人の自由で、それに賞を与える=順位をつけるなんてもってのほかだと。なので私は反対です。


書感想文はあまり必要がないのでは?と疑問を抱くことがよくあります。本を読むことも文章も書くことも大切ですが、学校の課題という形で強制的に書かされるのでは少なからずとも本を嫌いになってしまう人がいるのではないかと思います。


私も読書感想文は苦手でしたが、目的が明確でない状況で書かされるからではないかと思います。本を読んで、その本のすばらしさを対象とする人(先生?)に伝えるという様なことが目的なのでしょうが、先生の力不足もあってきちんと子どもに徹底されていないのでしょう。対象や目的のあいまいな文章ほど、分かりにくくて意味のないものはありません。

どんな本だったか?おもしろかったか、悲しかったか?くらいの質問を、夏休み明けに、一人1分程度口頭で答えるようなことをやればよいような気がします。二人組みで相手に質問させながら言ったことを書いていくのもよいかもしれません。書くより話をさせる方が、目的も対象も明確になりますので。


読書感想文は、いらないと思う。なぜなら、強制的にやらせても本のおもしろさが、理解できないし、読書が嫌いになってしまうと思うからだ。それなら、いろんな種類の本をたくさん読んだ方がいい。文を書くより、読むことの方が大切だ。


読書感想文をうまく書こうとすると、どうしても心にもないことを書いてしまう気がする。何も読書感想文じゃなければ文章力を鍛えられないわけじゃないので、あまり必要がない。


はっきり言って無用!! 逆に本嫌いの子どもを増殖させるだけ!! 感想文のための読書がどれだけ苦痛であるか先生は知っているのか?


本を読むことは大切であるし、私は読書感想文がまったく必要がない、とは思いません。それで将来の書類作成とか大学などの面接での小論文作成につながっていくならもうけものだと思うからです。

ただし、それはちゃんと読ませる対象が決まっていて(決まってないとなかなか書きづらい)、また、基本的な書き方や書く上でのポイントなどを分かっているならです(分かってないとこれまたちゃんと書けない)。

さらに言うなら、何を書いても、それがその人の感想であるということをちゃんと相手が認めて読むなら、です。

そういう基盤がなければ、読書感想文は無駄だと思います。だって、書く上での基本事項を頭に入れずに書き続けても上達はあまりしないし、読ませる対象が「自分に好印象のものでなければ……」というような雰囲気があっては自分が本当に思ったことを書けないのですから。

どうしても高評価を狙った、思ってもいないことを書くことになり、そして文章が書けなくなるわけですね。私はそんな風になるならば読書感想文はいらないと思います。せめて、ちょっとした書き方の基本指導と、読ませる対象を明確にすることをしてほしいと思います。


必要がない。

子どもの書いた読書感想文を読む限り、よいことばかり書き連ねていたり、思っているはずのないことを書いていたりする。学校の宿題の感想文など、なおさらである。これはおそらく「先生」という逆らえない、評価される対象に対して、少しでも好印象を持ってもらおうと無理に考え出した感想を書いているからだと考えている。

読むつもりもなかった本を読んで、思ってもいないことを枚数制限や規定に沿って書かされて、果たして本当の意味で「読書」をしたといえるのだろうか。読書というのは、個人個人で感じたことを自分の中で解釈・整理してさまざまなことを考えて「読書」したというのではないだろうか。その中には、はたから見れば変に見えたり、おかしく感じたりするものがあるのは当然である。無理に書かせたものにそんなものが存在するとは思えないし、何の役に立つのかも分からない。文章にする意味もあるのだろうか。

読書感想文というのはそもそも、自分がすばらしいと思った本の内容を相手に伝える術の一つで、無理に書くものではない。自主的に書くものなのだ。だから無理に書いた読書感想文は、まったく持って意味がないと思った。


義務である以上、本当の意味での効果は期待できないと思う。


本を読むことは大切だと思います。それについて考えることもいいと思います。でも人に見せるために形式を持って書くことが役に立つとは思えません。


いらないと思う。が、読むことはとても大切だとは思う。学校でコンクールに推薦された作文もだいたいは月並みの考えで道徳的でしかない。書くために書けそうな部分を探して書くのでまったくもって普段の読書とはわけが違う。読む人は読むのだから、なくてもよいのではないか?と私は思います。


読書をするのはとてもよいことだと思う。しかし、読書感想文は役に立たないと思う。本を読むと幸せな気分になったりと感情が出てくる。それを「文」にしてしまうことでその気分が壊れてしまうからだ。感情に浸っていたいのに……。


ずばり役に立たないと思います。書いて読解力、文章作成力が向上するなら、小・中・高校で合計12年間書いているのだから、社会人に文章を書く人が苦手な人がいるはずがないからです。多分、読書感想文のせいで読書が嫌いな人も多いと思います。社会で子どもの読書離れを心配する前に、読書感想文を書かせないようにすればいいと思います。


本を読む人と、読まない人とでは言語力や思考力、読解力での差はあると思います。だからといって、感想を書かせ、それを提出、なんてことはまた別の話。大切なのは本を読み、感動したことを忘れない、心に留めていくことだと思います。感想を書く、というのが一番ではなく、読む、という行為が大切なのでは。読書感想文で力を養うよりも、もっといい方法があるのではないでしょうか。


書をすることは大切だ。その内容について深く考えてみることも大切だ。その考えた内容を感想文にすることは時間の無駄だ。それよりは次の本を読んだ方がよい。これが私の持論です。


本を読むこと自体は必要で役に立つと思いますが、それを感想文という形にする必要はないと思います。こんな宿題があるせいで読書が嫌いになる人もいるのではないでしょうか。


大人になってから役に立つのかよく分からない。


私の意見としては、読書感想文は役に立たないと思います。だいたい、本を読むことによって豊かな感性を身につけることはできるかもしれませんが、それをいちいち「感想文」として学校に提出する必要はないと思います。そんなものを書く時間があるのなら、もう1冊本を読んだ方がいいと思います。「思ったことを自由に書く」なんてしょせんは無理な話で、ほとんどをきれい事で埋めている人がほとんどだと思います。そんなことでは「豊かな感性」も「表現力」もなんら変わりはないと思います。


読書感想文が読解力・文章力向上に役立つかと言えば、役立つ可能性は低い。特にいやいや読んだというならなおさらその可能性は低い。読解力・文章力向上をするには日々本を読む&本を読むことが好きになる必要があると思う。年に1回あるだけの読書感想文に何の効果があるのか…。そんなに読解力・文章力向上させたいなら月に何冊か本を読むようにさせた方がいいと思う。

読書感想文賛成派のご意見

読書感想文。多くの人はこれに苦しめられているとよく聞きます。確かに読書感想文は本を読んだ感想をそのまま書けばいいというものですがそれが結構難しい。他人に公表するものだし、「文章」として自分の想ったことをまとめなければならないのだから結構手間がかかります。中には課題図書を決められ読みたくない本を読まされ、あまりいい経験をしなかった人もいるのでは? しかしだからといって本を読まずに、自分のクラスや名前だけを打ち込み印刷だけするとか、コピペとかはどうかと思います。本を読んでその感想を書くことによって文章力向上に役に立つかなんてのは人それぞれだと私は思いますから、それについてははっきりと役に立つか役立たないかなんてのは言えません。しかし、本を読んでその言葉一つ一つを吟味することはとても大事なことです。何度も読んで、読み返してそれを言葉にまとめたりすることで、新しい自分の考えが見えてくることもあったりします。学校によって異なるので何とも言えませんが、好きな本の感想文を書ける場合はすごくいい話と出会うことだってあるのです。要するに、読書感想文はわたしから言わせてみれば本の感想を書くことではなくて素晴らしい本に出会えるきっかけの一つなのではないかと思います。ですから、できればこういうサイトはなくしてほしいです。でもきっと読書感想文が嫌になるのはしょうがないことなのでしょう。大体自分の思ったことを原稿用紙に3枚だとかそんなに長く書く必要はないのではないかと、そこらへんは私も思います。課題を出す側も原稿用紙じゃなくてルーズリーフ1枚とかそういう軽いのでもいいと思います。いずれ大学に進む人はちゃんとした論文の書き方とかが読書感想文などにつながってきますが、そんなのは授業で教えてもらって自分でコツコツやればできますから、長々と感想を書く必要はないと思います。ただ、中には自分にとって大切な本をこの夏に読んで、一生懸命感想文を書いた人もいるわけです。そういう人から見ると此処はちょっとどうかと、思います。


賛成です。社会に出てから、その成果が発揮されます。与えられたテーマに沿ってレポートを書く。本音(面白くない)と建前(役に立った、感動した)の使い分けなど世の中に出るための準備に役立つ。


読書感想文に賛成です。私は小さい頃から本に親しんできましたが、読書感想文があったので自分の知らないより多くの本に出会えたと思っています。また本を多く読んできているからといって文章が書けるというわけではないというのを知ったのも読書感想文のおかげであると思います。読解力や文章作成能力は読書感想文だけで伸びるものでもなく、総合的な要素が高いです。しかし本を読むことに悪い事はないと思います。小・中学校の頃は、面倒で嫌なものだと思っていましたが、文章を正しく書く事が大学や社会に出て役立っていると思います。


賛成です。その年代に感じたことをどんな形にしろ自分の頭で考え苦労してまとめた物であるからです。芥川龍之介や夏目漱石など古今東西の文豪の作品はその年代年代によって読後感が変わるものです。また、人の感性は年とともに成長するとは限らず、むしろ若い頃のほうが感性が豊かであったりします。自分が読んで心に残った文章や言葉、主人公やその他の登場人物の言動などを文章表現力は伴わなくても(たとえそれが粗筋の視写であっても)自分の手で書きとめるという行為に意義があると思います。感想文を書くとき、あまり大袈裟に考えたりせず、感じたところ、思ったことをまず素直に書くことが第一だと思います。しかしそれだけでは5枚というノルマは達成できません。そこで、感想文を完遂させるための基本的なコツがあるのでそのパターンを使うのがよいと思います。また、感想文を書く前提として「課題図書」に囚われず、自分が感動した本を選ぶことです。


読書感想文に反対の人,あるいは子供の敵と考える人がいるのは仕方のないことです。でも,子供にズルを教えて良い理由にはなりません。「ばれたら先生にしかられましょう」なんて言うなら,はじめから,書かずに未提出として先生にしかられ,提出点を下げられる覚悟でいればいいのではないですか? 嫌々だろうと何だろうと,課題として出た時点で,それは子供たちがやるべきことなのです!! ズルを教えることが子供たちへの救いであるかのような言い方は間違っていると思います。読書感想文の是非はともかく,ズルを教えることが本当に子供たちのためになるんでしょうか? 私はそうは思いません。

【読書感想文については中立とのことですが、こちら側に】


読書感想文を書くのに賛成です。なぜかと言うと頭を使うことの練習になるからです。確かに、読書感想文というものは夏休みの敵です。私は今、高校1年生ですが、小学校・中学校そして、高校の今も読書感想文に悩まされています。でも、だからといって人が書いたものをそのままなにも考えずにコピーするのはどうでしょうか。


こんなページは、いけないと思います。パクリは、良くないと思います。まず、オリジナルの書き方ページを作ってから、賛否をとってください。 ぼくは学生です。作文は、嫌いです。でも、がんばりました。だから、ドーピングページは、とても怒れるのです。


まず、<自分の考えを表現する場>であるという点において、読書感想文は現在の国語教育に必要なものであると言いたい。自分の考えを、文脈を共有しない他者に向けて分かりやすく伝える努力や試行錯誤をする訓練の重要性は、いくら強調してもしすぎることはない。感想文は極めて実践的な技術習得の場である。それ以上でも以下でもない。他人の文章のまとめや理解、そして「正解」ばかりが求められる現在の教育において、他人の意見の反復ではない、自分の考えを主張することは、「自主性」を尊重し「自ら考える」教育を目指す点において極めて重要である。逆にそのような自己主張の場なしに与えられたものを理解すればいいだけなら、どうやって自主性が育つのか。まずは、読書感想文に関する問題点を、書く側と読む側に分けていくつか指摘したい。

【書く側】
反対派の意見を見ると、感想文を日記と勘違いしている意見が多数あって驚く。単にずらずら思ったことを自由に書くだけなら感想文になんか何の意味もない。そうではなく、感想文には読む人がいるわけで、その他者に対して「自分の意見をできるだけ分かりやすく伝える」ことこそが感想文で求められていることである。他者と完ぺきに考えを共有することはできないという意見があるが、それは人間である以上、当たり前の話である。ここで言っているのは、「説得する」というような話ではなく、単に「伝える」ことの重要性である。感想文で求められているのは、万人を納得させるような「理論」や「客観的な意見」ではなく、あくまで読書後の個人的な「感想」であることに注意すべきだろう。

だから、読書感想文は自由に書けばいいのである。「つまらねえ」「ばからしい」というのも立派な「感想」である。大切なのは、どのような感想を抱いたかというようなことではなく(どのような感想を抱こうが自由なわけだからそこは評価のしようがない)、読書体験からその「感想」までの個人的な思考の道筋を、いかに分かりやすく他者(読む側)に伝えるのかという点である。この点が評価されるのだと分かっていないから、感想文を感受性の豊かさや思想信条のテストのようにとらえてしまって「何の価値も見いだせない」ようになってしまうのである。

感想文は評価の対象にするのはおかしいという反対派の意見がある。しかし以上のような基準で評価するわけだから、仮に低い評価を得た場合には、「論に飛躍がある」「一貫性がない」「話がずれている」等の分かりにくさが原因にある。それを、「感想」そのものが評価されたと勘違いし、「感想は自由じゃないのか」「私の考えにケチをつけるな」「思想信条の冒涜だ」などと文句を言うばかりか、「感想さえも学校・教師によってコントロールされるのか」などと逆恨みすることにもなっている。

反対派には、「感想なんかそれぞれだから、強制的に書かされることじゃない」などという意見がある。このような意見は、文章を読まされて、「要約しなさい」「筆者の主張と同じものを選びなさい」「下線部の『それ』は何を示すか答えなさい」のような「正解」ばかりを追い求める訓練ばかりさせ、それがうまくいけば頭がいいと評価される現在の教育制度の生み出した負の遺産である。日本人は知識詰め込み教育によって「正解」を渇望する意識が身についてしまっており、自分の意見を求められるような立場に置かれると、どうしてよいか分からなくなるらしい。「正解」を求めてきょろきょろし、はっきりした形では存在しないと分かると、「やる意味なんかねーわ」と言って怒るか、「感動しました」「今後に生かします」「一生忘れません」みたいな道徳的な話をすればよいと勝手に解釈して適当にでっちあげるテクニックを磨こうとする。感想文の目的は自分の意見を他人に分かりやすく伝えるという訓練であることがどうしても理解されない背景には、このような考える能力を育てないどころか逆に芽を摘むばかりの貧弱極まりない教育の現状がある。

【読む側】
読書感想文の場合、読む側は教える側でもあるだろう。上記の書く側の問題点は、そのまますべてが教える側の怠慢の結果である。現状は書け書けと言うばかりでどうやって書くかも教えないし、感想文はろくに添削もしないでそのまま返しているのがほとんどである。まず、原稿用紙の使い方の説明から始めて、感想文では何が求められているかということについて、また文章を書く際の注意点を、事例を挙げつつじっくり説明すべきである。さらに重要なのは、感想文では他者に対して「自分の意見をできるだけ分かりやすく伝える」ことが求められているわけだから、その感想文での主張が読み手に伝わったかどうか、伝わらなかったとしたらどこが悪かったのか、分かりやすく筋道を立てて説明するにはさらにどのような工夫をすればよかったのかといった点について詳しく添削しなければいけない。単に誤字脱字や文章表現を直すだけなら何の意味もないばかりか、書く側に時間と紙と労力を無駄にさせるだけである。次回にさらによい文章が書けるようになるためのアドヴァイスを出すつもりがないのであれば、書かせるべきではないと肝に銘じてほしい。


賛成です。確かに5枚とかって無理!と思います。自分もめっちゃつらかった。(今先生やってます。)今の学校ってやりたい人だけがやってますよ。でも、今になってみるとあらすじを見て写すだけでも、自分の好きなところを一生懸命視写することも文章を書くことに役立っていると思う。頑張って出すこってやっぱり文章の書き方、表現・描写の仕方がうまくなるんですよ。まぁ、自分はうまくはなってないですけど。それから、今の子って本当に文章がかけないんですよ。これって感想文書いてないからでは? と思うくらいですよ。いやいやでも書いたことで皆さん知らぬ間に文章表現が上手になっているのではありませんか?


反対派の人が多いようですが、僕は読書感想文そのものには賛成です。ただ現状を見る限り、読書感想文には反対派の人たちが主張するような問題がたくさんありますが、僕はその原因は一部の賛成派の人が指摘している運営面の不備と、多くの人が読書感想文の意義を勘違いしていることだと思います。まあ、「読書感想文」という名前にも問題があるのですが……。読書感想文を書く意義は、やはり文章作成能力の向上です。数学の証明問題や履歴書の自己アピール、会議でのプレゼンなど、ありとあらゆるところで役に立ちます。読解力は文章作成能力が身につけば勝手についてくるので、本来、あまり読むことに集中する必要はないわけです。だいたい、読書感想文なんて、1冊の本を一語一句間違いなく暗記したところで、書けるものではないでしょう? しかし、その文章作成能力を身につける教育が現状ではまったくできていません。僕が思うに、上手な文章は手本となる上手な文章を読まないことには書きようがないので、例えば入賞の読書感想文をいくつか配って、それを自分の言葉で書き直させるだけでも、手本がある分、一から書かせるより文章作成能力は身につくのではないでしょうか。そのままコピペするのはだめでも、それを(先生が元ネタを知っていても)ばれない程度に書き換えるにはかなり頭を使うものですし、その作業の繰り返しだけでもオリジナルの文章を書ける素地は身につくはずです。というわけで、この文章を読んでいる先生方にはぜひとも、過去の「名作」読書感想文を生徒に配り、それを参考に読書感想文を書くように促していただきたいものです。生徒たちは、ネット上で見つけた入賞作なり何なりを、先生にパクリと言われない程度のオリジナリティーを加えて提出してくれればいいと思います。


学生の書く文章に携わるアルバイトをしています。ほとんどが課題文を読みこなして自分の考えを書くことを求められているようです。受験や就職において、こういった適性は現代の学生には不可欠と感じています。

読書感想文は、まさに長〜〜い課題文を読んで考えを書くこと。近い将来の練習だと思って取り組んでほしいと思います。

ただ夏休みの課題として与えるのでなく、学校で先生がきっかけだけでも教えてあげてほしい。ある程度の字数の文章をまとめるのは、独学では難しいし、ある意味スポーツの様に練習が必要だと考えます。


 まず、読書感想文自体は、肯定できるでしょう。

何かをまとめ、評価し、私見を述べるのは、極めて高度な営みであり、そのレベルに達しなくても、自分の感想や意見を人に明確に説明する能力は決して無意味なものではないでしょう。

日常生活では「おもしろかった」でいいかもしれませんが、何が、どうおもしろかったのかきちんと説明できる能力は、芸術や文化を受容し共有するために大変重要だよ思います。その能力のために、読書(に限らないけれど)感想文を書かせることは有効でしょう。

しかし、現状読書感想文が十分機能しているとはいえないのは、反対派の皆さんが言うとおりでしょう。大きな問題は、書き方の教育、目的の明示、提出後の評価・改善といった当然のことが無視されていることだと思います。この辺りの運営面での改善は必要ですし、読書感想文教育が順調とも思いませんが、だからといって全否定するのは暴論と思います。


ホワイトカラーの労働者を目指している生徒に対しては、実践的なトレーニングとなり社会に出たときにすぐに役に立つ訓練になると思う。


自分自身、読書感想文は書くのも読むのも好き。本を読むのも、文章を書くのも好きだからかもしれないけど、苦痛に感じたことはない。読んだ本について「おもしろかった」と思っても、よほど気に入らない限り、子どもは読み返すことはない。感想文を書くということを通して、その作品と深く付き合うことができると思う。


読書感想文は、確かに書籍の選択、文章の構成等を考えなければならず、面倒なことでもあるが、大切なものだと思う。

本を読んでの感想、これは読解力を身につけることと、感受性を強めることができると思う。また、感想を書く、ということは、言語力の強化につながると思う。

読書感想文を書き、それによって身につけることのできる力はとても大きく、また、生活に大いに役立てることができると私は考えます。


 

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